以下、朝日新聞デジタル版(2020/1/19 8:54)から。
札幌市の街頭で昨年7月、参院選の自民候補の応援演説をしていた安倍晋三首相にヤジを飛ばした市民を北海道警の警察官が取り押さえて排除した問題は、道警が法的な根拠を説明しないまま15日で半年を迎えた。この間、札幌地検の捜査、道議会による追及、民事訴訟の提訴という三つの動きが並走しているが、真相の究明は進んでいない。このままうやむやにされてしまうのか。現状を整理した。(伊沢健司、武田啓亮、斎藤徹)
複数の当事者 事情聴く 札幌地検の捜査
昨年12月上旬、札幌市のソーシャルワーカーの男性(31)は、大通公園に臨む札幌地検の庁舎内にいた。目の前の検事に、5カ月前の夏の日、自身に何があったかを話し始めた。7月15日の夕方、JR札幌駅前。道路を隔てて20メートルほど離れた場所から、参院選の応援演説をしていた安倍首相に向けて「安倍やめろ」「帰れ」と叫んだ。その直後、複数の警察官に体をつかまれ、後方へ移動させられた。理由を尋ねると「演説を聞いている人の迷惑になる」と言われた。
公職選挙法が定める選挙の自由妨害(演説妨害)の判例は、妨害を「聴衆が聞き取ることを不可能または困難ならしめるような所為」と定義している。さらに警察官職務執行法は、人の生命や身体に危険が及ぶなどの可能性がある場合にのみ例外的に、体をつかんだり無理やり移動させたりすることを認めている。
肉声でヤジを飛ばした男性を排除した行為に法的な根拠はなく違法だったのでは――。札幌地検に捜査を求め、第三者の東京都の男性が直後に告発状を、排除された男性自身も12月に告訴状をそれぞれ提出した。関係者によると、地検は、排除されたと訴える別の当事者からも任意で事情を聴き捜査を進めている。
警官起訴 高いハードル
ただ、地検が最終的に警察官を起訴し、刑事裁判に持ち込むのはハードルが高いとみられる。告訴状によると、少なくとも6人の警察官が排除に関わり、基準や限度を超えて職権を使い、市民を逮捕・監禁することを禁じた「特別公務員職権乱用罪」などに違反したと、男性は訴えている。当事者や目撃者の証言だけでなく、排除の様子を映した動画も証拠として残されている。
ところが、罪が成立するためには職権乱用が過失ではなく「故意」だということが要件になっている。駿河台大学名誉教授の島伸一弁護士は「排除した警察官に、自らの行為が法律で定められた権限を越えているという認識が(罪に問うには)必要だ」と解説する。
そのため捜査では警察官への事情聴取に加え、なぜ職権を乱用したかという動機の解明も重要となる。ある捜査関係者は、たとえ過剰な警備であっても「現場の警察官の判断ミスでしたと言われれば、過失を問う罪がないので難しい」と話す。そのうえで「故意の証明はハードルが高い。常識的に考えて、警察官が法を犯すリスクを負ってまで、職権を乱用する動機はない」といぶかしむ。
「早期に説明」繰り返す道警 道議会による追及
地検の捜査の行方に神経をとがらせているのが、捜査を受ける側の道警だ。山岸直人本部長は昨年8月以降、道議会で道議からの質問を受けるたびに「地検の処分状況をふまえ事実確認を継続していく。結果はできるだけ早期に説明する」との答弁を繰り返してきた。鈴木直道知事から「すみやかに事実関係を公表してほしい」と求められても姿勢を崩していない。
理由は、地検の捜査が終わる前に、道警が法的な根拠を独自に説明すると「地検の捜査に支障を来すおそれがある」(道警幹部)ためだ。別の幹部は「検察が捜査を終えたら必要な説明をしたい。風化させる気はない」と話す。
とはいえ、道警が、排除されたと訴える当事者らに納得できるような説明をするかどうかは未知数だ。道警警備部によると、「事実確認」は第三者ではなく、警備部自らが進めている。地検の捜査が終わった後、当事者らに対する聞き取りについても「道警に告訴状が届いたわけではないので、当事者を特定できない」として現時点では予定していないという。
組織的な責任 同時に追及 民事訴訟の提訴
当事者の男性は昨年12月、告訴と同時に、道警を所管する道を相手取り札幌地裁に民事訴訟を起こした。公務員の不法行為を問う国家賠償請求だ。肉体的、精神的な苦痛に加え、政治的な意見(ヤジ)を表明するという、憲法が保障する「表現の自由」が侵害されたとして、慰謝料など330万円を求めている。告訴は警察官個人の処罰を求めることになるが、民事訴訟は道警の組織的な責任を追及する狙いがある。
裁判は民事と刑事の判断が一致するとは限らない。例えば昨年12月、ジャーナリストの伊藤詩織氏が望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして、元TBS記者・山口敬之氏を訴えた民事訴訟で、伊藤さんが東京地裁で勝訴した。一方、この件を準強姦(ごうかん)容疑で捜査した東京地検は山口氏を不起訴処分としている。
今回の問題についても、仮に札幌地検が警察官を不起訴という刑事処分にしたとしても、それとは別に民事訴訟の裁判官が、違法性の有無を判断する。弁護団や当事者らは刑事と民事の両面で、警察官の行為の不当性について追及する。
第1回口頭弁論は今月31日に開かれる。弁護団によると、原告以外に排除されたと訴える別の当事者も近く提訴する予定だ。