浪子不動園地と不如帰の碑を訪れる

 

 

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 逗子駅から浪子不動園地まで歩くことができるが、そこから先は、134号線(湘南道路)の車道に歩行者用の歩道が続いていないため、134号線では逗子から鎌倉方面に抜けることができない。歩行者が(湘南)海岸道路から鎌倉に抜けることができないのは残念だ。

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 134号線から逗子海岸を望むところに浪子不動園地がある。

 浪子不動園地には、さくら貝の歌の碑もある。

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 浪子不動園地には高養寺がある。

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 逗子海岸に立つ不如帰の碑。

 徳富蘆花*1の小説「不如帰」。明治期の小説で当時のベストセラーであり、この小説により逗子が有名になったという。筆者自身は「ふじょき」と読んだらしいが、今では「ほととぎす」という読み方が一般的となっている。

 Wikipediaによると、幸せな結婚生活を送っていた浪子が伝染病である結核を理由に離婚を強いられ亡くなってしまうというのが「不如帰」の筋で、徳富蘆花が逗子の柳屋に間借りしていたとき、同室となった婦人から聞いた話をもとに脚色したという。蘆花の夫人愛子によれば、この婦人は大山巌の副官の未亡人福家安子であるらしい。

 大山巌の娘の信子が三島弥太郎*2と離縁されたことがモデルで、信子の実際の継母は日本最初の女性留学生の一人である大山捨松。捨松の友人には同じく日本初の女性留学生の一人であった津田梅子がいる。捨松はアメリカで看護師の短期教育を受けたこともあり、捨松の指示で信子は隔離のため大山邸の離れで暮らし、食器や衣服を別にして消毒もおこなわれたというが、世間からは虐待とみられた可能性があるという。小説はモデルを忠実に描いてはいるわけではないようだ*3

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 披露山公園に向かう道は上りとなる。

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 披露山に向かう。

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 頂上をめざす。

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 披露山まで上る。

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 披露山から披露山住宅地を見下ろす。

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 披露山から江の島を望む。

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 披露山から小坪に下りると、パンヤコットというパン屋さんがある。なかなかの人気店のようだ。

*1:徳富蘆花の兄が徳富蘇峰。蘆花は、徳富蘇峰の変節に対して思想的に絶交している。大逆事件を蘆花は公然と批判した。逗子は蘇峰にとってもゆかりの土地。

*2:三島弥太郎三島通庸の子ども。

*3:たとえば大山捨松は小説「不如帰」で悪者に仕立て上げられ、そのためにかなりの風評被害にあったという。徳富蘆花は捨松が危篤となる間際にようやく謝罪したという。