「教科書の登場人物、性差別では? 出版社が多様性を模索」

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以下、朝日新聞デジタル版(2021/6/20 12:00)から。

ジェンダー平等社会の実現を目指す報道企画「Towards Equality」に参加した世界のメディア15社のロゴ
 NPOのスパークニュース(パリ)の呼びかけで、世界13カ国の報道機関15社がジェンダー平等社会の実現に向けた特集「Towards Equality」を展開します。新型コロナウイルスの世界的流行で深刻化する、根強い男女差別や職場、家庭における「男らしさ」「女らしさ」という固定観念――。各国のジェンダー平等の最前線の取り組みに関する記事を世界で同時発信していきます。朝日新聞では紙面とともに、朝日新聞デジタルでも随時、記事を掲載します。今回はイタリアのメディア「コリエレ・デラ・セラ」の記事を掲載します。

 台所に立つお母さん、仕事に出ているお父さん。だらしないけどとても勇敢な男の子、恥ずかしがり屋できちんとした女の子。天文学者や弁護士、郵便局員、料理人などどんな仕事にも就ける男性。専業主婦や母親、まれに学校の先生や美容師もいる女性――。これらは1950年代を思わせる単なる固定観念だろうか。数年前までイタリアのほとんどの小学校の教科書でこうした表現を見かけることは珍しくなかった。今でも昔ながらの教科書をめくると、まるでタイムスリップしたような気分になる。

 近年になってようやく、出版社は違う方向性を打ち出した。「今ではジェンダーの観点を考えずに教科書をまとめることはできない。人々がこの変化を真剣に受け止めているのは良いことだ」とフィレンツェ大学のイレーネ・ビエンミ講師(ジェンダー教育)は言う。彼女はこれまで4年間、リッツォーリ社とエリクソン社というイタリアの出版2社が共同で行うプロジェクトの顧問を務めてきた。そこでは男女を平等に表現した教科書を執筆、作成するための内部規定を採用している。ビエンミ氏に聞いた。

 ――性差別的な教科書についての著書の中で、1997~2002年に出版された小学校の教科書を研究されています。どんなことがわかりましたか。

 何よりもまず、女性や少女が十分に表現されていないということです。女性が主役の話は全体の37%しかありません。これは潜在的にある性差別が、教科書に広範な影響を及ぼしている可能性があることを示しています。私が学校で定期的に開いているワークショップでは、女の子たちにどうして女性の登場人物が少ないのかを尋ねます。その答えのいくつかは「重要ではないから」です。教科書にはステレオタイプがあふれています。働く女性はほとんど見かけません。女の子はみな恥ずかしがり屋できちんとしていて優秀な児童ですが、男の子は勇ましくて活動的で、ときに少し攻撃的です。はるか昔の時代のモチーフを見ているかのようです。

 ――その後、状況は改善されたと思われますか。

 今の教科書を見れば、改善されてきたと言えるでしょう。しかし、16年にクリスティアーノ・コルシーニとイレーネ・シェッリという2人の研究者が最近の教科書を同様の枠組みで分析しましたが、その結果はむしろ悲惨なもので、事態は悪化したようにも思えました。

 ――教科書がジェンダー固定観念を振り払うことができないのはなぜでしょうか。

 出版社が学校という、変化を受け入れることが難しい人々を対象にしているからです。イタリアの学校は国で起こっていることの遅れた鏡であり、社会のあらゆる変化についていけていません。忘れてはならないのは、ほとんどの教師が1970年代や80年代に教育を受けており、その文化を教室の中に持ち込んでいるということです。さらに、年配の教師にも若い教師にも、ジェンダー問題についての特別な研修は行われていません。

 また、そこには感情的な側面もあります。子どもたちにおやつをあげるエプロン姿のお母さん、向こう見ずな少年たち、人形遊びに夢中な少女たち――。それはほとんど神話的な表現であり、同時にとても安心できるものでもあります。その文化を捨てて新しいものを提案するのは、言うほどたやすいことではありません。

 ――しかし、あなたたちのプロジェクトはまさにそれをやろうとしています。顧問として、どのような役割を担っていますか。

 出版社が基準として使うのに役立つ指針の作成を主導しました。今の私の仕事は教科書を1ページずつ丹念に修正することです。

 ――というと?

 入念にゲラ刷りを点検します。例えば、男性と女性の作者は何人ずつ含まれているか。主役は男女が同じ数だけいるか。ステレオタイプになっていないか。教科書全体を見るのであって、一部だけに注目するわけではありません。もし、固定観念があからさまに、あるいは悪意をもって持ち込まれているなど、題材に問題があれば、出版社に指摘します。

 最後に、私の提案を副編集長に送ります。副編集長の仕事は、すべての不均衡を正すことです。数カ月後、新しいゲラが送られてきて、今度は写真やイラストも含めて最終的な確認をします。そしてすべてがうまくいったときに、教科書は印刷所に送られます。

 ――あなたの仕事は加えるよりも、取り除くことの方が多いのですか。

 いいえ、固定観念を取り除くだけでは十分ではありません。新しい視点、いわゆる「カウンターナラティブ(もう一つの物語)」を提示することが目的です。しかし、それをどう使うかが重要です。私にとって最良の教科書とは、すべての母親が宇宙飛行士で、すべての父親が台所で忙しく夕食を作っているようなものではありません。また、男の子が恥ずかしがり屋で、すべての女の子は(フェミニストの象徴である)「長くつ下のピッピ」のようである必要もありません。

 最良の教科書とは現実を多面的に表現できるものです。文化の多様性は平等への足がかりだからです。世界を逆さまにしたような教科書は全くの作り物であって、必要ありません。私たちの世界には、科学者や弁護士、郵便局員として働くお母さんがたくさんいます。同じように、情にもろい男の子も活発な女の子もいます。そうした人たちにも光を当ててみませんか。(キアラ・セベルニーニ記者、コリエレ・デラ・セラから)