長渕剛のJeepは東京の都会生活者の困難を歌った名盤だ

 必ずしも長渕剛のファンでもないし、CDもほとんど持っていないのだが、たまたま持っている長渕剛の「JEEP」というアルバムは、大都会東京の都市生活者の困難と日本の政治状況をうまくとらえている名盤だと思う。

 全12曲。5分以上の曲が10曲もあるが、全く飽きることがない。日本語の歌詞も素晴らしいが、歌い方も素晴らしい。長渕の気持ちが、そこにある。そして、これらは全て日本の怪物的大都市・東京について歌った唄だ。都市生活者の困難を踏まえての唄だ。
 といっても、これはあくまでも趣味の話で、万人に通じる話ではない。何人かの人にとっては、眉をひそめる歌詞も登場する。長渕の歌詞は危ないのだ。でも、多少危ないというのは、アーティストの一つの重要な要件であると私は思っているし、毒にも薬にもならない内容を歌っているよりは数段ましだ。


 「どうせおいらはどこかの流れ者。おいらのしかめっ面、いまさらなおるわけがねぇ」(「流れもの」)。
 「話すことといえば、ゴルフと銭と出世話」「なぜに友達は酒を飲まなきゃ、本当のことを喋らなくなっちまうんだろう」「友達が(で)いなくなっちゃった。気がついたら一人もいなくなっちゃった。だけど俺、さみしくなんかない。仲良しクラブのつき合いはまっぴらさ」(「友達がいなくなっちゃった」)。
 「東中野の駅前に、あぁ、つっ立ったまんま、電信柱にひっかけた夢。未練たらたらひっかけた夢」「浜松町から羽田に向かった。公衆電話から奴に電話した。握り締めた受話器の向こうで、『がんばれや』って奴が泣いた。抜き差しならねえ街だった。あやうく俺の背骨を抜かれるとこだった。『性に合わねえから、うちに帰るだけさ』と、ふてくされた面で、精一杯の負け惜しみ。俺だってあの日の海を死ぬまで泳ぎきるつもりさ。あぶく銭に埋もれて、一生男なんかやりたくねぇ。あのときの電信柱にひっかけた悔しさと諦めが、俺の胸を叩きやがる。たらたらと胸を叩きやがる。俺の胸を叩きやがる。たらたらと胸を叩きやがる」(「電信柱にひっかけた夢」)
 「黒いカラスよ、お前は寂しくはないか。銭だ、銭だと、損か徳かで、日が暮れて行く。俺たちは都会に群れをなすカラスだ。訳もないのに、夕焼け見ると、また泣けてくる」「露骨に人を信じたら、足の裏で蹴飛ばされた。公衆便所に落書きをした」(「カラス」)
 「東の空では若者が自由と闘ってるのに、原宿・ホコ天通りじゃ、自由をもてあそんでる」「ああ、明日の朝、ああ、国会議事堂へ行こう。ああ、小便ひっかけて、口笛吹いてお家へ帰ろう」(「お家へ帰ろう」)
 「ああ、当たり前の男に会いたくて、しかめっ面したしょっぱい三日月の夜」(「しょっぱい三日月の夜」)
「 『日本も今じゃクラゲになっちまった』と、笑ってた」「『やるなら今しかねぇ』、66の親父の口癖は、『やるなら今しかねぇ』」(「西新宿の親父の唄」)