「ニュージーランド物語」の第2章「マオリ」(その4)を読む

 初期のマオリの生活は、おそらく、今日よりも当時の方が、敵の攻撃が可能であったという意味において、子どもたちにとってより危険であったろう。けれども、家庭においては、他の家庭と同様に、愛情(aroha)を享受できていたことだろう。子どもたちは、ピピを収集したり、鳥を捕まえたり、プハ(puha)のような食べられる植物を集めたりと、ときに懸命に働かなければならなかった。
 子どもたちは、伝統や、先祖の名前、そして役に立つ情報を、種族のカウマツア(年長者)*1、ときにトフンガ(僧侶)*2から教わった。いくつかの種族では、ファレ・ワーナンガ*3(勉強するための建物)もあった。
 当時のマオリの大半のゲームは、今日もやられている遊びだった。たとえば、ほとんどイギリスのナックルボーン(knucklebones)と同じような、五つの小石を使って遊ぶ遊びをしていた。ダーツ(darts)や、竹馬(stilts)、コマ回し(spinning tops)、人形遊び(pupets)や、タコあげ(kites)もやっていた。縄跳び(skipping)や、ブランコ(swings)に乗って遊んでもいた。棒を使って遊ぶようないくつかの遊びは、敏捷性を養い、眼の迅速さを鍛えるためのものでもあった。これらは実際、闘いの際に役に立ったであろう。運動としてのレスリングは最も重要なものとみなされていた。また男の子たちは、パツ(patu)*4やタイアハ(棍棒か槍のようなもの)*5のような武器の使用法と、闘いの踊り(the war dances)を練習するよう躾けられた*6

*1:カウマツア(kaumatua)は、eldersの意。

*2:トフンガ(tohunga)は、priestの意。

*3:ファレ・ワーナンガ(whare wananga)は、house of learningの意。ワイカト大学は、マオリ語で、Te Whare Wānanga o Waikatoという。これは私もよく使った語彙のひとつ。

*4:パツ(patu)は、weapon, beater, batの意。

*5:タイアハ(taiaha)は、a kind of club or spearの意。

*6:このあたりの叙述は、映画「鯨の島の少女」の場面を思い出す方もいるのではなかろうか。