ボブ・ディランのNo Direction Home

No Direction Home

 ボブ=ディラン(Bob Dylan)のブートレッグシリーズの第七弾である No Direction Home: Bob Dylanはマーティン=スコセッシ監督映画のサウンドトラックである。サウンドトラックといっても、より正確には、これまでのディランのライブや音源の編集ものともいうべきものである。もちろん、題名のノーディレクションホームは、彼の代表的名曲である「ライクアローリングストーン」の中の歌詞の一行からとられている。
 このCDは実は夏に購入したものだが、映画の方がようやくこの12月23日からロードショーになった。
 3時間30分にも及ぶこのドキュメンタリー映画では、若き日のディランのアイドルであったフォークシンガー・ウディ=ガスリーをはじめ、ディランがフォークソングの伝統から広く学んでいたことが理解できる。あのオデッタなんかも映画の中で見ることができるし、アイリッシュ合州国での成功者・クランシーブラザーズも登場するが、ディランは当然アイリッシュのトラッドや、ブリティッシュトラッドからも学んでいただろう。
 今後も歌いつがれるのかどうかわからないがとディラン自身がコメントしていた、We shall overcomeとともに公民権運動を代表する歌である「風に吹かれて」も、歌の下敷きは、もちろんトラッドだ。
 そういう点で、フォークソングの貴重なレコード収集家である知人宅から何枚かのレコードを勝手に持ち出したという逸話は面白い。ようするに、ディランは盗みを働いていたわけで、トラッドから「学んでいた」と先ほど私は書いたけれど、「盗んでいた」と書くほうがより正確なのかもしれない。フォークやトラッドというものは、そうした盗作的な性格をもつものなのだと、ディランは開き直っているのかもしれない。
 ピーター・ポールアンドマリーを売り出したやり手マネージャーのアルバートグロスマンの話や、デイブ=ヴァン=ロンクのディランの思想性に関するコメントも面白かった。ようするに、ディランは、古典を学び、新しいものを提出できる能力をもつ、型にはまならない自由人なのだ。ディランと比べてみれば一貫して思想を貫いているジョーン=バエズも、ディランと会ったときに、彼が今日はどんな気分なのか、まずは推測するのと、気分屋のディランについてコメントをしていた。
 良いか悪いかは別にして、ディランは、確実に時代の先を行っていただろう。大体、年齢が若いのに、あんな年季の入ったしゃがれ声で歌うなんて、いろいろなことがわかっている奴にしかできやしない。
 ディランがフォークギターからエレキギターに持ちかえると、フォークの継承者であり続けて欲しいというファンからブーイングが起こった逸話は有名だ。
 ニューポートで、PPMのピーター=ヤローに紹介されて歌う「マギーの農場」は、エレクトリックヴァージョンで、ピート=シーガーに電源を切断されそうになったというエピソードが残っている演奏だ。
 「ライクアローリングストーン」でのアル=クーパーのオルガン飛び入り演奏の逸話や、大統領も暗殺される時代にあって、当時ディランの横にいれば身体的な安全が脅かされることになるかもしれないというアル=クーパーのコメントが印象的だった。
 フォークにしても、エレキにしても、ディランは優れたライブパフォーマーである。
 ワシントン大行進で広場に集まった大観衆を前にして演奏する際に、ものすごい数の聴衆だとディラン自身がコメントをしていたが、そもそもパフォーマーというものは聴衆が育てるものだ。いい演説家や噺家は、聴衆がそだてるものなのだというのが、私の持論である。いい教師も、実は生徒が育てるものだ。だから、聴衆不在では、いいパフォーマーが育つわけがない。その点、いまの日本なんかは、人の数はいるけれど、いい聴衆が集まる場が少なくなってきているから、いいパフォーマーが育つ土壌そのものが脆弱になっている。ということは、当時の合州国の聴衆がボブ=ディランというパフォーマーを育てたと言えないこともない。この聴衆には当然にも、フォークからエレキへの切りかえを裏切りだとの罵声をディランに浴びせた聴衆も含まれる。
 映画が、「ユダ」と裏切り者の悪罵を投げつけられた「ライクアローリングストーン」ヴァージョンで、あのザバンド*1(The Band)をバッキングに、「音量を上げていこうぜ」(“Play it loud.”)というディランの決意と演奏とで映画が締めくくられるのはとても印象的だ。
 この映画には、キューバ危機、公民権運動、ワシントン大行進など、60年代の時代背景が登場する。時代と切り結んできた一人の表現者、ディラン。ディランが好きな人も、あまり興味のない人も、アメリカ合州国を学ぶためには是非とも観て欲しい映画だ。
 合州国版・イギリス版のDVDはすでに出ているが、日本語版は未発売のようだ。
 以下はインターネット上のレビューのひとつ。フランス系アメリカ人である知人の一人が薦めてくれていた。
http://www.slate.com/id/2126752/

*1:当時は、ザバンドの前身、ザホークス(The Hawks)というべきかもしれない。