高田渡さんが亡くなった

ごあいさつ

 フォーク歌手の高田渡さんが亡くなった。
 高田渡は、不思議な人だった。
 ウディ=ガスリー・ピート=シーガーなどのアメリカ合州国のフォークシンガーの影響を受け、その生きる姿勢として正統派フォークシンガーといってもいい人だった*1
 60年代末から70年代初頭にかけて、PPM、ピート=シーガー、ウディ=ガスリーから、ボブ=ディランを聞き始めていた俺は、高田渡の「生活の柄」や加川良のアルバム「教訓」など、よく聞いたものだった。
 高田渡の「コーヒーブルース」を聞いて、京都三条堺町のイノダコーヒー屋にわざわざコーヒーを飲みに行ったこともある。
 自分自身、高田渡の熱心なフアンとは思っていなかったのだが、棚にあるアルバムを見てみると、以下のものが並んでいた。

 この中では、なんといっても1971年の「ごあいさつ」が名盤と言えるだろう。
 高田渡が書いた詩とともに、谷川俊太郎山之口獏、有馬敲、添田唖蝉坊木島始訳のラングストン=ヒューズの詩などが並んでいる。
 音楽的にも、「失業手当」「自転車にのって」「銭がなけりゃ」「しらみの旅」は、はっぴいえんどがバックを担当し、当時の俺は、こりゃボブ=ディランとザバンドのようだと思ったものだ。
 子ども時代に「アイスクリーム」の唄が好きだった娘がたまたま観て、俺は未見なのだが、「タカダワタル的」という映画も近年上映されたようだ。

*1:高田渡さんがアメリカンフォークソングから学んだことももちろんそうだが、むしろ添田唖蝉坊など、明治の演歌師からこそ学んだといえる。