日中・日韓の文化交流の中で歴史表現の新たな模索がされている

amamu2006-01-10

 「日本の侵略と植民地支配という重い過去を今なお背負って」いる日中や日韓の文化交流が、いかにあるべきか、1月9日付けの朝日新聞で紹介していた。「越境する文化」「時空をこえて」というシリーズだ。
 たとえば、「抗日戦争勝利の記念行事が中国各地でおこなわれた戦後60年。その一年が幕をあける直前に、7千万人をくぎづけにしたドラマがある。中央テレビの「記憶の証明」」。
 「単純に憎しみをあおるだけの物語は、意味がない。戦争を感情的でなく、理性的に考えなければならない時代だと思うんです」。
 「監督の楊陽さんは40代の女性」であるという。
 映画史家で、明治学院大学教授である四方田犬彦氏によれば、中国や韓国との日本の交流において、「感傷性」がもっとも危険であるという。それは、「侵略と植民地の犠牲者を聖人化し、永遠化する態度である」からだ。
 この感傷性は、ノスタルジーや異国趣味とも結びつき、「台湾映画には日本がなくした心がある」というような見方がされることがあるが、それは「植民者のまなざしである点を自覚すべきだろう」と指摘する。
 「韓国とつきあって20年を越す」劇作家の平田オリザ氏も、彼の「芸術家の倫理」は明確であり、「日帝時代に家族を拷問で殺された人が、僕の隣の席に座っている。そこで見せられる芝居かどうか」であると、紹介されていた。
http://www.asahi.com/international/aan/hatsu/hatsu060109.html