アジアの人々を眼の前にして、日本は何が主張できるのか

 これまで何度か、書いてきているように、小泉首相靖国神社参拝問題でも、憲法九条改悪の問題でも、私は、アジアの人々を眼の前にして議論することが大切だと感じてきた。首相の靖国神社参拝問題や憲法九条改悪の問題を、アジアの人々を眼の前にして、果たして主張できるのか、説得力があるのか、ということである。
 これは、日本国内の今の議論が果たしてアジアの人々に説得力をもつものなのか、はなはだ心もとなく、イメージで言うならば、日本のナショナリズムは、自分の姿だけを自分の鏡に映して自画自賛していることが少なくない、そう感じてきたからだ。日本国内の主流の議論は、そうした主張が国際的な論戦をくぐり抜けておらず、比較・対照、相対化も弁証法止揚もなく、独りよがりであることが少なくないのではないか。