吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」を再読した

君たちはどう生きるか

 吉野源三郎さんが1936年から1937年にかけて書かれた「君たちはどう生きるか (岩波文庫)」を再読した。
 この本は1937年7月に出版されたが、その同月には盧溝橋事件が起こり、瞬く間に中日事変から日中戦争へと向かっていった年だった。「君たちはどう生きるか (岩波文庫)」は、荒れ狂うファシズムの中で、ヒューマニズムの精神を少しでも少年少女に訴えたいという「日本少国民文庫」十六巻の最後の配本にあたるという。
 内容だが、コペル君というあだ名をもつ本田純一という主人公が中学一年から中学二年になる頃までの話を扱っている。コペル君には、お父さんがいなくて、叔父さんとの交換ノートによってコペル君と叔父さんのさまざまな思索が語られていき、その中で、「生産関係」「生産と消費」などの社会科学の基礎的知識に触れられたり、浦川君という友人を通じて「貧乏ということ」が語られていく。
 私が一番感動したのは、勇気をもって正義を貫けず、友人たちとの約束を守れなかったと後悔して、二週間も寝込んでしまったコペル君の箇所で、間違いを犯したとき、人はどうすべきかという倫理観にも触れられ、「後悔」「勇気」「友情」の重要性が強調された場面だ。
 もうひとつ特筆すべきは、叔父さんはもちろんのこと、コペル君の母親、先生方、浦川君の母親、水谷君のお姉さんの勝子さんら、子どもたちのまわりの大人たちが、しっかりしていることだ。子どもたちの成長を、多くの良心的大人たちが見守っていることに対して、新鮮な気持ちで感動する。
 かなり前に、私の勤める職場で、「君たちはどう生きるか (岩波文庫)」が高校一年生の必読書であったことを考えるに、「君たちはどう生きるか (岩波文庫)」は、現代にも通じる一冊であることに間違いはなく、その意味で、名作であり、古典というにふさわしい一冊であると思う。