何が大切といって、人の命ほど大切なものはない。
人間は生きることができて初めて、他のさまざまなことができる。
生存権の重要性は、何人たりとも否定できない。
自然災害は人間の力を超えている性質をもつから仕方のない面もあるけれど、備えがあれば、被害を最小限に差し止めることはできる。だから天災に対して、政治の貧困が、人災的な被害をさらにもたらしてしまうのだ。
地震は天災かもしれないが、原発事故は天災なのか。原発事故は、人災ではないのか。
今回のように、お粗末な震災対策、お粗末な消防体制では、なおさらのことだ。
これで死に至ったら、まさに浮かばれない。
安全を繰り返すばかりで、信じなさい、疑うなというのは、科学的とは言えない。科学とは、第一に疑うことから始まる。信じることから科学は生まれないのである。真理とは、疑うことから始まる。安全性についても、まず疑うことだ。それと、事実から出発すべきだ。
やるべきことをやらず、やらなくてもよいことをやっている日本の貧困なる政治。
こんな政治とも呼べない政治に、私たちの命を任せていてよいのか。今回の事故も雄弁に教えてくれている。
以下、asahiからの引用。
お粗末、原発消防力 消火栓使えず職員傍観 中越沖地震
2007年07月20日18時22分
新潟県中越沖地震で、火災が起きた東京電力柏崎刈羽原子力発電所の自衛消防態勢が極めてお粗末だったことが次第に明らかになってきた。同原発の職員は火災の際、自治体消防が到着するまで手を施せず、傍観するばかりだった。これまで相次いだ火災で市から指導を受けていたのに、教訓を生かせなかった。今回の事態を受け、経済産業省は電力各社に自衛消防態勢の整備を指示する。
地震が発生した16日は休日。柏崎市消防本部は当直の17人態勢だった。
17人は地震の対応に追われ、原発に向かうことができたのは、非番で同本部に駆けつけた隊員5人。防火服をかぶり線量計を首にかけて、化学消防車で飛び出した。
出火元は、変圧器脇の送電ケーブルを支える地上2.5メートルほどの橋脚部。隊員らが現場についた午前11時半には、橋脚からもうもうと黒煙が上がり、周囲の金属は溶け出していた。
足元には、原発職員4人が消防が到着する前につないだ屋外消火栓のホースが4本あった。うち水が出たのはわずか2本。水はボトボトと1メートルほど先でこぼれる勢いしかなかった。「消火にはほど遠く、職員4人は傍観するばかりだった」という。
原発の自衛消防隊は自治体消防が到着するまでの間、初期消火に当たることになっている。だが実際には鎮火までの2時間、機能しなかった。法的な義務づけはないものの「大事に備えて大きな消火器を敷地内に配備するなどの策も考えられたはずだ」と、市消防本部は指摘する。
同発電所では4月には定期検査中にビニールシートが焼ける火事があった。この際も通報が発見から3時間後だったことから、消防本部が「発生時点での速やかな通報を」と厳重注意をしていた。そのほか今年に入り少なくとも3回、火災があったという。
「ボヤが相次いでも、安全神話によりかかってしまう体質があったのではないか。法に従ってさえいればいいとの意識が、この事態を招いたと言える」。鎮火活動を指揮した消防隊員はそう話した。
柏崎市長は18日、発電所内の危険物施設について、消防法に基づく緊急使用停止命令を東京電力に出した。東電は消防態勢の見直しを進める予定で、原発再開のめどが立たない中、これまで敷地内に配備していなかった自前の消防車1台を新たに準備するという。