学力テストは何のために実施するのか。
学力実態をはかるのであれば、抽出調査でよいとされる。
果たして毎年10億円もの経費をかけて、やる必要があるのだろうか。
昨日の信濃毎日新聞の社説から。
学力テスト 実りの少なさが鮮明に
全国の小学6年生と中学3年生を対象に、昨年に続いて行った全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が公表された。昨年と同様、知識の活用に課題があるというのが実施した文部科学省の見解だ。都道府県ごとの結果も昨年とほぼ同じ傾向である。
子どもの学力向上のために、具体的にどんな課題が見え、どう現場の指導に生かせばいいのか、親や教育関係者が納得できるような明確な説明はない。
それもそのはずだ。学力は短期間で目に見えて身につくようなものではないからだ。「子ども一人一人の指導に役立った」と評価する教育現場の声も少ない。
文科省は来年以降も継続する方針だが、毎年数10億円もの費用をかけて行うには、子どもや現場にとって実りがあまりにも少ない。継続する価値が本当にあるのか、疑問が膨らむ。
今年の学力テストは、国語と算数・数学の各教科で、基礎的な知識を問うA問題の平均正答率と比べ、知識を活用する力をみるB問題は10ポイント以上低かった。昨年も似た傾向を示している。
都道府県別では秋田や福井で正答率が高かった。これも昨年同様だ。▽少人数学級で指導をしている▽自宅学習の習慣が根付いている−ためなどとされる。
知識の活用力や生活習慣の大切さなどは、かねて指摘されていることだ。学力テストの結果を待つまでもない。
文科省は「データを積み重ねることで課題が浮き彫りになる」と継続の意義を強調する。が、これまでの分析結果を見る限り、続ける論拠としては弱い。
無視できない問題がある。学力テストの弊害だ。文科省はテスト結果に基づき、教育委員会などに改善を促す。教育現場は次々に改善計画の提出を求められ、疲弊しているとの声も聞かれる。一部の地域では市町村、学校別の成績をオープンにするよう求められ、これも負担になっている。
学力テストが学力問題に取り組む契機となったというプラスの面も否定はできないが、全国の傾向を知るのなら抽出調査で対応できるとの指摘もある。
文科省は、批判や不満を謙虚に受け止めるべきだ。日本の教育投資は先進国の中でも最低レベルといわれている。現場に負担をかける調査よりも、教師や少人数学級を増やすなど、個々の子どもに目配りできる教育に変えていくことの方が先決だ。