昨日の朝日新聞で、「こまつ座」が紀伊国屋演劇賞に選ばれたという記事を読んだ。
井上ひさしさんの三女で現在の「こまつ座」社長の井上麻矢さんが次のように語っていた。
「社長だった父に潰すか問うと、一晩考え」たうえで、「やめたくない」と、井上ひさしさんは次のように答えたという。
僕をここまで(創作に)追い込んでくれたのはこまつ座。恩義があるんだ。
麻矢さんはこの「一言でこまつ座を全力で守ろうと決め、同年秋に麻矢さんが社長に就任。だが翌春父は死去。途方に暮れたが生前から企画されていたフェスがほぼ初仕事となり、差し伸べられた手の多さと力強さに父の作品を守る仕事の重要さを再確認した」という。
「生誕77フェスティバル2012」は、井上ひさしの作品を8本連続して上演した企画で、その動員数は約10万人という。折をみて私も観るようにしていた。
事実、今回のフェスティバルで、「十一ぴきのネコ」「雪やこんこん」「藪原検校」「しみじみ日本・乃木大将」「芭蕉通夜船」「日の浦姫物語」を観た。「闇に咲く花」と「組曲虐殺」は、前に観たことがあるから、一応全部観たことになるが、観劇とは切ないもので、やはりそのときしかない。映画などと違って、そのときの配役・演出、そして観客と、リアルさが勝負である。晴れの日も曇りの日も、雨の日もあるのが、舞台というものなのだろう。言うまでもなく、生ものなのである。井上ひさしさんを劇作家に向かわせたのも、そこにあるにちがいない。だから一人の観客としても、そのとき、そのときを大切にして、観劇に向かわなければいけないのだろう。
それにしても、劇というものは、生ものだから、折角つくりあげても、すぐに壊れてしまう。きわめてはかないものである。
これからも一人の観客として、忙しい毎日であるが、なるべく、劇場に足を向けて、元気をもらいたいものだと思う。
朝日新聞の記事の最後に、「遺した戯曲は有限でも、受け継ぐ思いある限り、生み出される舞台と感動は、無限だ」という西本ゆかさんの結びの言葉に深く共感する。
戯曲を再生・再現するのは、鍛えられた個性の集まった人間集団である。そこに創造もあるのだろう。そうした人間の創造に今後も期待したい。