「尺には尺を」を観てきた

尺には尺を


 本作品を観劇して、つくづく感じたことは、今さらながらシェイクスピアが偉大な作家であるということだ。
 本作品はシェイクスピアの書いた「問題劇」のひとつという。そんなことより、本作品は、現代日本にも通じる人間のありようが見事に表現されていることに心底驚いた。
 日本のエトスに落とし込むなら水戸黄門のようなものになるのかもしれない。でも、これはシェイクスピア。ストーリーが大事なのではない。
 つくづく思うのは、人間って進歩しないものだということ。
 科学技術が進み、それぞれの民族性も多様性もわかってきているのに、同時に、時代を越えてもほとんど変わっていない。
 人間ってこんなもの。人間ってこんな感じということが見事に表現されているところにシェイクスピア表現者としての偉大さがある。
 それはたとえば、アンジェロの、法順守の不寛容の姿勢と兄の命乞いをするイザベラに恋におちてからの矛盾。
 よくありそうなアンジェロという人格の表現は、案外むずかしいのだろう。
 こうした矛盾した、いい加減なありようは、公爵もイザベラも同じである。
 個人的には、イザベラ役の多部未華子の解釈に好感がもてた。一番の熱演だった。
 辻萬長さんも好演していたが、俺の好みとしては、井上ひさし作「父と暮せば」のほうが好きだ。

 今回の公演は、最後まで蜷川さんが演出家としていない公演、演出家・蜷川幸雄さんの追悼公演となった。個人的には、演出家という仕事の重要性を感じさせてくれた公演でもあった。
 あらためてシェイクスピアに感動した俺は、イギリスで、シェイクスピア劇を観てみたくなった。