「(日曜に想う)飛び交った声、明日からの言葉 編集委員・福島申二」

f:id:amamu:20051228113104j:plain

 以下、朝日新聞デジタル版(2017年10月22日05時00分)から。

 あの詩人のお宅は、さっぱりと知的な空気をまとっている。私のご近所といえるところにその家はあって、たまに散歩しながら前を通ることがある。

 詩人は11年前に亡くなられ、家屋は少し古びたけれど佇(たたず)まいはそのままだ。通りかかるといつも、彼女の詩が一つ二つ胸の底から浮かんでくる。きのうあたり散歩に出かけていれば、浮かんできたのはこの一節だったかもしれない。

 《言葉が多すぎる/というより/言葉らしきものが多すぎる/というより/言葉と言えるほどのものが無い》

 お分かりの人もあろう。茨木のり子さんである。この「賑々(にぎにぎ)しきなかの」という詩の冒頭は、きのうまでの選挙運動を言っているようにもみえる。何のための選挙か納得のいかないまま、自賛と甘言の呼号が頭上を飛び交っているように感じた人は、少なくなかっただろう。

 あるいは、胸に浮かぶのはこの詩句だったかもしれない。

 《ひとびとは/怒りの火薬をしめらせてはならない/まことに自己の名において立つ日のために》

 この3行を含む詩には「内部からくさる桃」という刺激的な題が与えられている。感情にまかせて荒れ狂う怒りではない。憎悪ともむろん違う。この3行にこもる意味は、おそらく「忘れない」ということと同義だ。なぜなら、忘れるのをじっと待っている人たちがいるから。

     *

 内なる火薬を湿らせないでいるのは簡単なことではない。

 たとえば原発ひとつとっても、進める側は、政治家も役人も、それを仕事として税金から報酬をもらう。ところが異議を唱える市民の多くは、それで食べてはいかれない。日々の暮らしに追われながら、やむにやまれぬ気持ちを行動の支えにしている。立場が違いすぎるのだ。

 同じことは、世論を二分して成立した安保法などにも言える。世の中は慌ただしい。大きなニュースが飛び込めば、一つ前のできごとはたちまち後景に退いていく。そのうえ今は目先の愉楽や便利さに工夫が凝らされて、政治や社会に対する怒りは、いきおい一時の感情にとどまりがちだ。そうしてじきに忘れられ、政治家は高をくくることを覚えていく。

 310万人が没した先の戦争さえ例外ではなくなっている。戦後72年、日本が抱いてきた戦争というものへの「怒りの火薬」は、ここにきて急速に湿ってきたようだ。とりわけ政治の担い手から、歴史の井戸に深くつるべを下ろす謙虚さが失われているように思われる。

 1926(大正15)年生まれの茨木さんが代表作につづっている。

 《わたしが一番きれいだったとき/……男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差(まなざし)だけを残し皆発っていった》

 東京に冷たい雨の降ったきのうは、74年前に、当時のニュース映像でよく知られる雨中の学徒出陣壮行会が行われた日だった。敗戦のとき茨木さんは19歳。この人の詩は、戦争を知る世代ゆえの「勇ましさ」への懐疑を、選び抜いた言葉で私たちに投げかけてくる。

     *

 さて今夜、テレビ各局は特別番組をずらり並べて衆院選の開票を待つ。候補者1180人は当と落に振り分けられ、国政に新しい勢力図が描かれる。

 どのような図になろうと、あすからの政治にはまともな言葉がほしい。空疎な「言葉らしきもの」はいらない。「言葉と言えるほどのものが無い」などは論外だ。私たちもまた、言葉をめぐる政治家の怠惰や横着に慣らされてしまってはいけない。主権者として、為政者の思い上がった言葉には、愚か者を諭(さと)すまなざしを向けなくてはならない。

 9年前、米国の大統領選に勝利したオバマ氏はこう述べたものだ。「私を支持しなかった皆さんの票は頂けなかったが、皆さんの声に耳を傾けます。私は皆さんの大統領にもなるつもりです」

 分断をあおるのも言葉なら、立場や意見の異なる者どうしが肩を組んで歩くのを可能にするのも言葉である。それを私たちは「民主主義」と名づけたのだ。