安倍首相は本気で、トランプ米大統領がノーベル平和賞にふさわしいと考えているのか。外交辞令では済まされぬ、露骨なお追従(ついしょう)というほかない。
トランプ氏が記者会見で、北朝鮮問題をめぐり、首相からノーベル平和賞候補に推薦されたと明らかにした。「日本の領土を飛び越えるようなミサイルが発射されていたが、いまは日本人は安心を実感している」と理由を説明した。
政府関係者によると、昨年6月にあった史上初の米朝首脳会談の後、米政府から非公式に推薦の依頼を受けたという。
この会談を経て、北朝鮮が核・ミサイル実験を自制し、朝鮮半島の緊張が緩和されたのは事実だ。しかし、両首脳の合意はあいまいで、半年以上たった今も、北朝鮮の非核化の先行きは見通せない。
安倍政権は会談後も、北朝鮮の脅威は変わらないとして、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入を進め、米国製戦闘機F35計105機の追加購入も決めた。国内で危機感をあおりながら、トランプ氏には緊張がなくなったと感謝するのは、ご都合主義が過ぎる。
一貫しているのは、トランプ氏の歓心を買うかのような姿勢だ。ノーベル平和賞の推薦まで持ち出すとは驚く。国際社会の目にどう映るだろうか。
09年に平和賞を受けたオバマ米大統領は、「核なき世界」に向けた決意を示し、世界に理想の力を再認識させた。それに対しトランプ氏は、偏狭な「米国第一」主義に走り、地球温暖化防止のためのパリ協定など、国際協調の枠組みに次々と背を向け、核軍拡にも踏み出そうとしている。とても平和賞に値するとは思えない。
一昨年、核兵器禁止条約の採択を推進した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が平和賞を受賞したとき、首相は戦争被爆国のリーダーなのに自らはコメントも出さなかった。米国の「力による平和」に付き従う姿勢が鮮明だ。
首相はきのうの国会で、ノーベル委員会が50年間、推薦者と被推薦者を公表しないことを理由に事実関係の確認を避けた。だが、推薦者が自らその事実を明かすことまで禁じられているわけではない。
トランプ氏によると、首相は「日本を代表し、敬意を込めて推薦した」と伝えたという。ならば、国民に堂々と説明すべきだ。それもできないのに、あたかも日本の総意のように振る舞うのはやめてもらいたい。