「原発事故経ても忖度ばかり 安全神話、まるで進撃の巨人」

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以下、朝日新聞デジタル版(2019/12/28 10:00)から。

 2011年に起きた東京電力福島第一原発事故をめぐり、国会は同年12月、民間人からなる独立の事故調査委員会(国会事故調)を1年間の時限で設けた。事務局で実務を担った石橋哲さん(55)は、今も高校などで事故調報告の神髄を語り続ける。何が石橋さんを動かしているのか。

いしばし・さとし 1964年生まれ。日本長期信用銀行産業再生機構などを経て、国会事故調入り。現在は複数の民間企業役員の傍ら、東京理科大学教授。

 ――国会事故調が解散して7年以上経ちます。今も事故調の話をするのはなぜですか。

 「事故の背後には、自らの行動をずっと正当化し、責任回避を最優先し、記録を残さないできた不透明な組織と制度があり、それらを許容する法的な枠組みがあったと事故調は指摘しました。その根本原因の解決に向けて不断の改革の努力を尽くすことが、国民一人ひとりの使命だと報告書に書いたからです」

 「国会事故調は、国会が憲政史上初めて作った独立調査委員会です。事故が起きた11年の12月にでき、翌12年7月に592ページに及ぶ報告書を衆参両院の議長に提出しました。委員10人の下、最盛時は約100人のスタッフが延べ1167人の関係者に900時間以上話を聴き、東電や規制官庁に2千件以上の資料を請求して、事故原因や再発防止策を探りました」

 ――実務の調整・取りまとめ役は大変だったでしょう。

 「設置法で調査期限も約半年と定められていました。最初はパソコンもなく、活動は実質3、4カ月でした」

 「目が回るような忙しさの中で迎えた12年の3月11日、小学生だった次男が親の仕事について調べる宿題だったのでしょう、『1年経って世の中はどう変わりましたか』『あなたは何をしましたか』と尋ねてきました。頭を殴られたような衝撃がありました。本当に自分事にしてきただろうかと考えたのです」

 「報告書の公表後、『これで日本は変わるね』と友人に言われましたが、むしろ、これからが大事だと思いました」

(後略)

(聞き手・大牟田透)