「強まる自粛ムードに異議 憲法学者が勧める批判的思考  新型コロナウイルス」

f:id:amamu:20051228113059j:plain


 以下、朝日新聞デジタル版(2020年5月3日 15時00分)から。

新型コロナウイルスの感染が拡大するなかで迎えた憲法記念日。感染防止を理由に外出や営業の「自粛」ムードが強まっていることに、志田陽子・武蔵野美術大教授(憲法)は異議を唱える。憲法で保障された権利と、それを制約する「公共の福祉」のバランスをどう考えるべきなのか。
補償なく休業「強制」、おかしい
 ――今の「自粛」の何が問題なのですか。
 何が良くて何がダメなのか基準がはっきりしないため、行き過ぎた萎縮や圧力が生まれている。一斉休校中に子どもを公園に連れて行っただけで、警察に通報する人が相次いだ。感染した人を「殺人鬼」と表現した議員もいた。過剰な正義感は隣人を追い詰め、差別を生む。外出自粛は強制ではなく要請なのに、東京では警察が新宿・歌舞伎町などで巡回を始めた。
 ――警察も強制にならないよう配慮しているようですが。
 警棒を手にした「お願い」は威嚇であり、強制と受け止める人が多いだろう。
 営業できなければ生きていけないのに、十分な補償がないまま実質的に休業を強制するのもおかしい。憲法には、私有財産を公共の目的で制約するには「正当な補償」が前提という条文もある。さらに問題なのは当初、補償の対象からキャバクラなどの風俗店を外したことだ。合理的な理由のない明確な差別だ。
声をあげよう、議論しよう
 ――それでも、非常時だから一定の制約は我慢すべきだという声は強いです。
 確かに経済活動や様々な集会などの基本的な人権も、「公共の福祉」のためにやむを得ず制約されることがあると憲法は規定している。だが、そのために求められるのは、感染拡大を防いで命を守るために密集を避け、不要な外出を減らすことだけだろう。それ以上の要請に「緊急時だから黙って従え」というのは違う。必要な外出や生きていくための営業活動まで頭ごなしに攻撃するのは行き過ぎだ。
 むしろこういう時こそ、批判的思考が大切だ。「支援が届いていない」と思えば、声を上げないといけない。憲法言論の自由を保障しているのは、一人ひとりが自分の頭で考え動くことで民主主義が機能することを想定しているからだ。
 新型コロナ対策をめぐっては、突然の一斉休校やマスク2枚の配布など混乱が続いた。政府にとっても未知の経験なので仕方がない面はあるが、実際、反対の声によって政策は改善されてきた。DV(家庭内暴力)を抱える家庭への現金支給の方法も、風俗店への休業補償もそうだった。
 ――こうした事態に対処するため、憲法を改正して「緊急事態条項」を導入すべきだという意見もあります。
 安倍晋三首相は国会で「極めて大切な課題」と肯定的に答えているが、今回のような事態は、現行憲法の「公共の福祉」の考え方で対処できるはずだ。集会を開きたくても店の営業をしたくても、生命を守るという目的との比較で我慢できることはしていこうと。必要なのは、そのためにどこまで権利を制約するのが適切かという議論ではないか。
 緊急事態条項ができれば、内閣は国会のチェックを受けずに法律と同じ効力を持つ政令を出せるようになる。緊急時だけの時限措置といっても、いったん成立すれば人権は無条件に制約されかねない。そして人は慣れる。変わった人権意識は簡単には戻らない。政府の暴走を許した歴史を教訓に、現行憲法ができていることを忘れてはならない。コロナを奇貨として横道にそれてはいけない。(阿部峻介)
 <しだ・ようこ> 1961年生まれ。「表現の自由」を主な分野に研究。市民との対話でわかりやすく憲法の価値を伝える「憲法コミュニケーター」を自称し、トークライブ「歌でつなぐ憲法の話」を主催する。著書に「『表現の自由』の明日へ」など。