逗子・葉山の長柄桜山古墳群を歩く

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 京浜急行逗子線の「逗子・葉山」駅の突端から田越川沿いを歩くと私設の白い橋が見えてくる。

 その白い橋の前に碑がふたつある。これが逗子ゆかりの徳冨蘇峰を讃える碑である。

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 田越川にかかっている施設の白い橋の次の橋を渡る。行き先に見えるのが田越橋だ。

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 田越橋の信号を渡り、さらに田越川沿いに歩いていくと、右手向こうに披露山が見えてくる。

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 すると、左側に六代御前の墓の案内があり、上がっていくとけやきの木の下に六代御前の墓と言われているものがある。六代御前が斬られたところとされているが、別の地との説もある。六代御前とは平維盛(これもり)の嫡男で平正盛(まさもり)から数えて六代目にあたる*1

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 六代御前の墓と言われているところは見晴らしも良く遠くに披露山が見える。

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 六代御前の墓を後にして、さらに田越川沿いに進んでいくと富士見橋が見えてくる。富士見橋の向こうには渚マリーナが見える。ここは昔、養神亭という旅館があったところ。逗子海岸からも近い。今はないが、富士見橋近くにあった柳屋で徳冨蘆花は「不如帰」を書いたと言われている。

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 富士見橋から渚橋に向かって田越川沿いに少し進むと、左手に柳屋跡地の碑が見えてくる。

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 さらに渚橋に向かって田越川沿いに進んでいくと蘆花記念公園の案内板が右手に見えてくる。

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 その案内板に従って細い路地を進んでいくと蘆花記念公園が見えてくる。

 蘆花記念公園には旧郷土資料館・休憩所・野外炊事場などいくつかの施設がある。

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 さらに山側に向かって進むと、山道に登り口がある。これが長柄桜山古墳群へのハイキングコース入り口になる。

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 急こう配の山道を進むと頂上付近に展望のよい場所がある。

 ここからは、近くに逗子海岸、遠くに江の島が見える。

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 さらに進むと、第2号墳がある。第2号墳もこれから行く第1号墳もいずれも4世紀後半に築かれた前方後円墳と言われている*2。第2号墳は全長88メートル。第2号墳は第1号墳にくらべると寸胴で幅広い形のようだ。

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 長柄交差点に下りるコースなどいくつか分岐があるが、さらに第1号墳をめざしてハイキングコースを進む。第2号墳から第1号墳に向かう右手が葉山町。左手が逗子市になる。

 第1号墳に着いてみると、第1号墳は本格的な遺構保存工事による整備中だった。逗子の長柄桜山古墳群は、今後神奈川県内でも最大級の古墳群として名所になっていくのだろう*3

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 第1号墳から急こう配の階段を降りると眺望のよい場所に出る。

 ここからも逗子海岸と江の島が見える。古墳群は展望のよい地に建てたということなのだろう。

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 ここは逗子市内の眺望もよい。

 葉桜住宅に下りるコースもあるが、逗子・葉山駅に向かうコースを降りていく。

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 住宅地に下りると、左側にトンネル*4が見える。今日歩いたハイキングコースは新旧桜山隧道のトンネルの上を歩いたということになるのだろう*5。右側に進めば、田越橋。その先に京浜急行逗子線の逗子・葉山駅がある。

 

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*1:六代が処刑されたことで平家の子孫はながくたえてしまった。「中世の田越川周辺は今とは違い、人家もなく処刑場となっていたらしく、田越川も六代処刑にちなみ、御最後川などとも呼ばれる」(「三浦半島文学めぐり」)という。

*2:第2号墳と第1号墳とは約500mの距離と言われている。

*3:長柄桜山古墳群は1999年に桜山古墳を守る会の東家洋之助氏が埴輪を発見したことを皮切りに発見され2002年12月に国の史跡に指定された。

*4:このトンネルは桜山隧道と新桜山隧道。

*5:第2号墳の下あたりがちょうど新旧の桜山隧道になる。