「これからの英語教師」若林俊輔 (1983)に救われた

これからの英語教師 (1983)

 「これからの英語教師」若林俊輔 (1983)に救われた。

 自分が担当している高2クラスの中間試験での成績不振。

 担任をしているクラスの不登校生徒と、最近、教師として自信がもてないことばかり。大学付属校の限界も見えてきて。勤務校の良い点。教師の水準も、全面否定などもちろんするつもりもないしできないが、それでも、これ以上自分を生かしきれない気分にときに襲われることも否定できない。

 「平均点志向」で嫌になっていたところ、外語大の若林俊輔氏の本を立ち読みして救われた*1。79点も80点もどこが違うというのか。その根拠はない。平均点が高い教師はなんとなく鼻が高く、そうでない教師が縮こまっているというのはかなりおかしいというような文章が眼にとまった。

 以下、「これからの英語教師」若林俊輔(1983)から。

 …新米教師でしかも知識がほとんどなかったから、先輩教師たちのやることにそれほど抵抗することもなく過ごしたのだから、たいへん恥ずかしい ー それはどういうことかというと、たとえば中間試験が終わり採点が終わると、国語から英語まで9教科の成績(素点)の平均値を個々の生徒について算出し、A君はできるがB君はちょっと劣る、などと品定めをやっていた、ということである。9教科の素点を足して9で割るというのはどうもおかしいのではないか、ということである。そのおかしい平均値を比べても何の意味もない。私がさらに首をかしげたのは、クラス全員の平均点を算出して、A組よりもB組のほうが0.05点上だとか、1.23点下だとか言って、その点数の大きいクラスの担任は鼻をうごめかし、低いクラスの担任は何となくしょげるということをやっていたことである。

 (中略)…「A君は89点、B君は85点、したがってA君のほうが上位」」などというのは、「測定(measurement)」について少少勉強した人ならば、恥ずかしくて言えたものではないはずである。

(p.123-p/124)

 若林俊輔氏は、公立中学校を退職し、その後、ELEC(現在の財団法人英語教育協議会)の事務局に勤めることになる。そのとき、評価や測定を学び、自分でつくったテスト問題をテストし、ある方法で信頼度係数をはじき出したところ、0.5なにがしというどうにもお話にならない数字が出てきて唖然としたことがあるという。

 あるときから、若林俊輔氏は、学力評定は3段階くらいになるんじゃないかという説をもったという。つまり、だいたい自分とおなじくらいの出来具合がひとつ。これはかなり教えないとダメじゃないかというのがひとつ。そして、自分は到底かなわないくらいよくできるというのがひとつ。

 なるほど。

 若林氏は、「これ以上評価を細分化する自信が私にはないんです。ですから、5段階評価などというのは、とてもおそろしい」と喝破される。

 幸い、現在のわたしの勤務校は、5段階評価ではない。多くの高校がそうであるように、100点満点中の素点を用いるのであるが、素点を四捨五入しての10段階評価であるから。64点、74点、84点、94点と、4点の生徒は泣き、65点、75点、85点、95点の生徒は笑うという大きな矛盾がある。

 数字というのは非常に科学的に見える。だがそれがくせものであると知るべきである。(p.125)

 本書を学んで、自己肯定感を高めていかないといけません。先日、某出版社から少額だが、原稿料をいただいた。少額といえども原稿料をもらうと、自己肯定感が少し高まりますね。情けないことだけど。

*1:「これからの英語教師」は、後日、購入した。