全国学力調査のこうした混乱は予想されていたこと

 私は私立の大学付属高校で四半世紀働いてきた。当然、その間、ずっと生徒の答案の採点もしてきた。それで、思うことは、学力評価は当然すべきものだが、学力評価というものは、絶対的なものではないということだ。
 そもそも生徒の学力評価というものは、生徒の書く答案は螺旋階段的に発展していくものとして、たとえていえばアナログ的に連続した力として評価しなければいけないのに、その評価(採点)は、○か×、1点かゼロ点かと、デジタル的に処理せざるをえない欠点を抱えている。採点というものは、そうした矛盾の産物であるということを生徒も教師も保護者も知らなくてはいけない。
 また、学力評価というものは、現場の教員が評価し、次の教育実践に生かすための資料であるということが決定的に重要である。競争的学力診断が支配的な日本にあって、このことは忘られがちだが、そのことを思い出さなくてはいけない。
 さらに、この点が重要なのだが、点数は教育活動で参考にすべき重要な資料ではあるけれども、しょせん矛盾の産物である点数というものを、一人歩きさせてはいけないということだ。
 私の勤める職場は、大学推薦ということもあり、日頃の評価が重要である。だから採点基準を統一させて集団的に採点業務をおこなっているが、この統一基準を徹底させるということは案外労力を必要とする。たとえば、ある基準で統一して教師集団として採点を済ませたとしても、生徒に答案を返却し、生徒からの申し出で採点基準を変更しなければならないことは日常茶飯事だ。その場合は、その生徒だけではなく、もう一度、全ての答案を採点しなおすことになる。こうした例でもわかるように、統一採点基準とは、大変な労力を必要とするのである。これを全国的規模でやろうとすれば、統一させること自体に、莫大なエネルギーを必要とすることとなり、厳密に公正さを欠かないようにすることは、事実上不可能だろう。今回の問題のように、それが記述問題となれば、なおさらである。これは採点者の能力の問題ではない。だから、今回の全国学力調査で、派遣労働者が加わっていることについて、「研修をして水準は確保している」と説明し、問題はないとしているが、採点者の能力の問題ではなく、システム上、厳密に公正さを維持することが困難であると私は思う。