日本の英語教育は、明治時代と比べてみても、英語圏のことを体験的によく知らない私*1のような日本人教師だけで授業をやってきた時期が戦後は長く、私が働いている高校でも、ようやくこの10年以上ほど前から、オーラルコミュニケーションの授業などに限っては母語話者との共同指導になってきたわけだが、もっと母語話者との共同を強めるべきだろう。また、学生にも文化的な体験をさせられるように指導すべきだ。あるいは日本人教員自身がもっと英語圏のことを知らないといけない。日本の外国語教育は、母語話者の援助がなかなか求められないという点と、クラス人数が多いという点で、さらに言えば日本人教員の力量という点で、あまりにも条件がなさ過ぎるということを、その昔、自分なりに考えたことがあったが、その指摘は今日も当てはまるという意味で、あまり変化が見られないのが残念だ。
また、外国語教育は人間的な教育でなければならないと常々私は考えてきたが、月曜日の応用言語学の授業でも、「これはあくまでも持論だが」と断って、「外国語の指導は教育であると信ずる」と、担当教授が言っていた。私は深く頷いていたのだが、お金があると言われている日本の教育環境は、ニュージーランドの田舎にあるワイカト大学(The University of Waikato)より悲惨かもしれない。お金持ち日本は、もっと教育にお金をかけて、その質を上げないといけないと痛感する。