三つのプロテスト行動に見られるように、ニュージーランド市民の言論の自由は、元気で、なおかつ大人だ

 昨日オークランドで、三つの抗議行動があったようだ。
 合州国などと同じように、ここニュージーランドでも同性愛の結婚が合法化される公算が大であり、これに対してブライアン=タマキ牧師率いるデスティニー教会(Destiny Church)が抗議の行進をおこなったと朝からテレビで放映している。
 最近のイギリス語ではよく「結合(結婚)」(union)という単語を使うが、同性愛の結婚なんて行き過ぎだという主旨なのだろう、“Enough is enough”(「もうたくさん」)と書かれたおそろいの黒いTシャツを着ている子どもたちが動員され、内容をよく知らない子どもたちを巻き込む戦術に対して、批判の声があがっている。
 こうした抗議行動の中で、性転換をおこなったことで知られている政治家のジョージナ=バイヤ(Georgina Beyer)氏が、元は男性だったことから「ジョージ」とか、「ホモ、変人」と呼ばれ、「彼女は普通じゃない」と罵倒されていると報道されていた。
 ジョージナ=バイア氏については、斉藤完治氏の「極楽ニュージーランドの暮らし方」(山と渓谷社)に、「彼女は、先住民のマオリであり、国会議員である。それだけならとりたててなんと言うこともないのだが、実は彼女、男性として生まれ育った。つまり性転換をして女性になったのだ。若いころは、『ドラッグ・クイーン』と呼ばれるけばけばしく女装した人たちに混ざってステージに立ち、ストリップまがいのこともやっていたようだ。
 それがある日、ふと思い立って出かけた田舎の街が気に入り、そこで暮らすようになる。しばらくして演劇クラブを通じて知りあった地元の人たちの熱心な勧めで、最初は市会議員に、そして市長を経て、ついには国会議員にまでなった」と、紹介されている。
 同性愛については、世代や思想によって、ニュージーランドでも受け取り方が極端に違うようだ。
 法案に対して、今後も抗議を続けるとブライアン=タマキ牧師は声明している。
 二つ目の抗議は、オーストラリアのフリゲート艦に抗議する反戦グループ。そして最後は、マウントイーデンの監獄の外で、アーメド=ザオウイ(Ahmed Zaoui)氏の釈放を求める抗議行動だ。
 アーメド=ザオウイ氏は、アルジェリア軍部から不当な弾圧を受け、1993年にアルジェリアを亡命した政治活動家で、2002年の12月にニュージーランドに避難し、翌年8月に認められたが、現在投獄されていることに抗議して、著名なノーム=チョムスキー(Noam Chomsky)氏もニュージーランドの扱い方に抗議して即時釈放を求めている。これらはアムネスティのホームページで紹介されている。
 政治犯の即時釈放を求める抗議行動にしろ、反戦抗議行動にしろ、かなりまともである。最初の抗議行動にしても、マスコミが取り上げ、朝から電話、電子メール、ファックスなどを駆使して、市民の声を最大限に聞こうとしている。対立的な意見があっても、冷静に、そして公平に市民の意見に耳を傾けている。極めて真面目でまっとうである。
 非常に驚いたことに、夕方7時から、1チャンネルで、いつものポールという司会者と、ブライアン=タマキ牧師とジョージナ=バイヤ氏の両者が出演して、議論が熱くなるのはもちろんのことだが、お互いの意見を冷静に闘わせていた。
 ニュージーランド言論の自由のレベルはかなり高いと私は思った。日本とは比較にならないほど、メディアも、まともな仕事をしている。まず、問題をきちんと取り上げるし、取り上げたあとの質も量も、残念ながら日本とは天と地ほどの差がある。
 先の内容に続けて、ニュージーランドに18年間住んでいる斉藤完治氏は、「人を見かけでなく中身で判断する。…これは口で言うのはやさしいが、なかなかできることではない。それをキウィは、肩ひじ張らずにひょうひょうとやってのけているように思える。
 投票で支持を得た人が議員になっているのだから、政治家を見ればその国の民度がわかるという説がある。それでいえば、この国の民度は非常に高いのではないだろうか。なにせ彼女以外にも、ゲイであることを公表している議員や、レゲエのお兄ちゃんそのまま、背中まで届く長髪のドレッドロック姿の議員もいるのだから。キウィは、立候補者が地域のこと、そして国のことをしっかり考えているか、その一点を見極めて1票を投じる。単に有名人だから、あるいは議員さんの息子だからなんてことでは、当選できない」と書いている。
 私の観察でも、キウィは真面目で、かなり大人なのだ。