市民講座の講師・ステファニーのいいところは、生徒に対してけっして文句を言わないところだ。これは当たり前の話なのだけれど、これだけ生徒の英語のレベルが違うと、日本の教員なら、「こんなに生徒にレベル格差があったら、授業にならない」と文句を言うのが普通だ。私の場合は、けっして文句を言ったことはないけれど、あきらめる。だから、こうした立場では、両方とも生徒にとってヘルプにならない。
奥田民生の「働く男」じゃないけれど、まさに「眠ることしかできない」ような状況の日本の教師は、他人のヘルプどころか、自分すらヘルプできない状態だ。自分をヘルプできないような者が、どうして他人をヘルプできるのだろうか。自分に優しくできない者は、他人に優しくすることはできない。
私がいま受けている市民講座と日本の学校教育を比較すること自体無理だけれど、日本の生徒数は大体多すぎる。だから教師も無力感におちいりがちだ。もっと生徒に対してヘルプができるような環境に教師自身を置いてやらないといけない。日本の貧困な教育条件を解決すれば、多くの問題が解決されるのにと、長年私は思い続けているのだけれど。