昨晩は初めてニュージーランドの市民講座に参加した。タイトルはズバリ、「あなたのイギリス語をさらに上達させよう」(Improve Your English)である。
定刻の午後7時になり、車で会場の高校まで出かけてみた。ぼちぼち生徒が集まっているのだけれど、講師はまだ来ていない。
7時に数分遅れて入室した講師は、女性で、ステファニー(仮名)と名乗った。当然講師の自己紹介から授業が始まる。
彼女の連れ合いは、会場校である公立男子校の校長までやった人らしい。その後、ハミルトンの市会に出て議員もやったようだ。彼女自身も教員歴があるらしく日本に来たこともあると言っていた。
なんでも同居していた友人が昨晩亡くなったらしく、いつも遅刻なんかしないのだけれど、今日は特殊事情なので数分遅れて済まなかったと詫びていた。
彼女はインターナショナルスチューデントを教える昼間の授業も少しだけ受け持っているらしく、今日授業があったのだけれど、そちらの方は仕方なく休んだと言った。夜の市民講座は回数が少ないので、今日はどうしても休みたくなかったのだという。市民講座は7人から成立するらしく、前回は人数が足りず不成立だったという。だから、継続して必ず来て欲しいと強調していた。
ということで、講師紹介のあとはお決まりの生徒紹介へと移った。
最初の受講者は、ハンガリー出身の女性でエヴァ(仮名)と名乗った。彼女が自己紹介した際に、同じくハンガリー出身の女性が「えっ、あなたも」と声をあげた。ハンガリーから二人の参加のようだ。
次は、シンシア(仮名)という韓国の女性。彼女はこの講座のアシスタントらしい。英語が上手だ。
次は、メアリー(仮名)というマレーシア出身の女性。ハミルトンには長く住んでいるらしいが、発音を直したいと言っていた。
次は、ブラジル出身の男性で、マノエル(仮名)。発音をどうにかしたいという要求を彼ももっている。
そして、ハンガリー出身の女性のジノ(仮名)。
ドイツ出身の男性でカート(仮名)。彼は、前回もこの講座を受講したらしく、いわば継続受講者である。
最後は、インド人の親子で、父親はカヴィ(仮名)といって、シェフらしい。その息子のバラジ(仮名)という好青年は、ほとんどイギリス語が喋れない。
インド人は英語がうまいというような話を昔どこかで聞いたことがあるが、植民地時代のインドは英語がやたらとうまかったけれど、独立後は下手になったというようなことを小田実氏が書いていたような気がする。インド人が英語が下手になったのは、政治的にみれば悪いことではないというような文脈だった。そうした意味では、このインド人の青年は、相当に下手くそだ。私のマオリ語のレベルに近いものがあるだろう。インドで彼は6ヶ月ほどイギリス語を学校で習ったという。イギリス語の発話のレベルでいえば、大半の日本人も同じような感じかもしれない。しかし日本人の場合の方が、そこそこ英語に対する語彙と文法の知識はあるのではないかとも思う。私から言わせれば、必要性を感じないから、その潜在的な知識が顕在化しないだけだ。繰り返しになるけれど、英語が下手くそだということは、それだけ政治的独立性が高いのだという見方は、やはり正しいのかもしれない。
自己紹介のあとのステファニーの説明で、この講座では、イギリス語による楽しい会話もやるけれど、この授業では書くことを重んじるという話がされた。そして白紙が配られ、いま述べた自己紹介を書いて欲しいと言った。
この講師は、話すことと書くことは、ちょっと頭の使い方が違うというようなことを述べたけれど、これは私も正しいと思う。それで、われわれが書いたものを家に持ち帰って添削をしてくれるという。これは私も経験があるけれど、かなり大変な仕事量だ。作文の最後に、イギリス語のどこを特に上達させたいのか、自分の要求を書いてくれという。これも、教師としては、把握しないとといけない当然の情報である。
正直いって、この講師の文法語彙の使い方や指導法から受けた私の印象では、理論で固めたプロ中のプロという印象はない。ただ、昼間のインターナショナルスチューデントも教えているというから、経験は豊富だし、知識もある。とりわけ、この講師が誠意あふれる講師であることは理解できる。彼女を支えているのは、まさにボランティア精神だ。
参加生徒のイギリス語のレベルがかなり違うので、インド人の青年には、韓国人のアシスタント女性シンシアがつくことになった。コトバのできない時期に、こうしてヘルプしてくれることは嬉しいものだ。私もマオリ語でかなり苦労しているので素直に共感できる。
ステファニーが生徒の書いたものを回収する。私のものを取り上げた際に、「ああ、言い忘れたわ」と、講師が言った。何かと思ったら、私が二行ほど空けて、作文を書いたことを指摘して評価しているのだった。私はどうせ添削されるのだろうと思って、無意識に二行ほど空けて書いたのだ。
私の自己紹介では、幸運なことに今1年間のサバティカルをいただいていて、現在ワイカト大学(The University of Waikato)の学生で3つのペーパーを取っている。そのうちの一つはマオリ語だということくらいしか喋っていないので、私が教員であることは知らせていない。なんというのか、講師が、やりやすいだろうと思ってのこれは配慮だ。
「以前、どこかの教室にいた際に、こうしたやり方に慣れていたの」などと質問までされて、ちょっと弱った。
具体的な授業に入ると、生徒全員の前に、ワイトモ洞窟やら、ロトルアやら、ハミルトンのブローシュア(パンフレット)が配られ、「これらはハミルトンから遠くない場所だけれど、みなさんは行ったことがありますか」と質問された。
インド人の父親のカヴィが「ワイトモ洞窟なら行ったことがある」というので、講師のステファニーが、「では、ワイトモ洞窟についてみなさんに説明してみて」と、カヴィに言う。カヴィが土ボタルなどについて説明して、生徒から質問を受けるというしかけだ。しかし、カヴィの発音はよくわからない。
講師のステファニーは、「みなさん、今彼が言ったこと、わかりますか」と全員に質問して、「彼はこう言ったのですよ」と、再度言ってくれる。いわば、通訳の役割である。
彼女にわかるものが私にはわからない。私もインド式英語に、慣れないといけないのかもしれない。
ところでロトルアにしても、ハミルトンガーデンにしても、ワイトモ洞窟にしても、私はすでに学習済みだから、この授業には、気楽に参加できる。マオリ語のときの苦渋に満ちた自分とは全く違う。
このあと、発音練習に移った。tied, tired, tide。your, you’re, you’ve。peace, piece, pierce。court, caught, quarter。thought, though, throughと来たところで、生徒の多くがthの発音に苦労していて、ストップした。
たしかにイギリス語のthは変な発音だから、みんな苦労する。
隣に座っているドイツ人のカートも「この発音は努力しているだけど、できないんだよな」と苦笑していた。講師が「threeはどうですか」と、発音をするようにうながすと、みんな結構できている。「threeはみなさん言えるのに」と、講師が言った。
ブラジル人のマノエルが、sheepとshipの違いがよくわからないと質問をした。「みなさんがどこがわからないかわからないので、こうしたフィードバックはどんどんして欲しい」とステファニーが言った。
ということで、私にとっては楽勝で受けられる2時間の講義内容だった。
途中ハンガリーのエヴァが私に「すみませんが、もう少しゆっくり話してくれませんか」と言われたほどだから、マオリ語の授業なんかと比べると大違いだ。
私はこれを自慢話として書いているのではない。コミュニケーションというものは、双方の「やりとり」だから、一人勝手ではいけないということを言いたいのだ。ステファニーが授業の最初で、「今日は初めてで、みなさんがどれくらいイギリス語がわかるのかがわからないから、ゆっくりと話します」と言っていたではないか。
それで、私は受講する際の基本方針を決めた。
(1)この教室では、インド人、マレーシア人、ブラジル人、ハンガリー人、ドイツ人のいろいろな英語の癖を学んで、彼らの英語が理解できるようにする。
(2)自分としては、ライティングとスピーキング、さらにキーウィーイングリッシュにしぼって学ぶ。
(3)授業中は、自分ばかり話を独占せず、相手の話をよく聞く。授業に参加しているときは、たとえばマオリ語授業の私と全く同じ位置にいる例のインド人青年に対して私もヘルプする。
(4)他の市民講座で面白いものがあれば、重なっていた場合、そちらにも参加する。
講師のステファニーが授業中にも強調していたことだけれど、レベルがあまりにも違いすぎると、ついていけない受講生が来なくなってしまうことを何回か経験しているらしく、今回は是非継続して来てもらいたいと言っていた。
実際、授業後に、バラジに「やめないで継続して来てね」と丁寧に話しかけていた。サバイバルイングリッシュの状況だけれど、インド人のバラジにとってはきちんと英語を学べるかどうか死活問題だ。通常の学校とこうした市民講座とは違うと思うけれど、日本じゃ、教員というものは、ステファニーのように、生徒の目線にまでは降りてこない。こうしたステファニーの捨て身のヘルプは、バラジにとってはありがたいことだろう。
授業が終わって、ブラジルのマノエルが「日本の名古屋に1年間いたことがあります」と私に話しかけてきた。「明治村は行ったことがありますか」と私が聞くと、犬山の地名は知っていたけれど、「残念ながら行ったことはない」と彼は言った。
市民講座に出ると、こうした人との出会いがあるから結構楽しい。