一昨日のパーティのホストでビバリーヒルズに住んでいるニコラスが、毎日ビーチを散歩しているというので、彼の車でビーチまで連れていってもらい、ビーチを一緒に歩くことになった。
散歩といっても、彼の場合、競歩のようなもので、一日10マイル歩くというから、約16キロも歩いている計算になる。年代的にも同年齢のようだし*1、音楽の趣味も生きてきた時代状況も同じようだから楽しみである。
ビーチ近くの駐車メーターが設置されている駐車場に車をとめて、歩く。
海岸はもちろん砂場だが、海岸に建っている住宅地に沿って舗装道路があり、そこをサイクリストやスケートボーダー達やジョガーがたくさん通っていく。
日本なら、海岸沿いに自動車道路があるところだが、こちらではサイクリストやスケートボーダーや散歩をする人のために舗装道路がある。これはえらい違いだ。
ダウンタウンについてどう思うか、町で暮らす知恵(streetwise)として聞いてみたら、「ダウンタウンには何もないし、一人歩きは危険である。危険を冒してまで行く必要があるのか」というのがニコラスの見解だった。危険についての一般的な考え方は、どうやら昔の合州国とあまり変わらないようだ。
ベニスビーチ(Venice Beach)など、一風変わった奴が多いけれど、散歩を楽しめるビーチがここにはあり、気候もいい。何を思ってダウンタウンに行くのかというのがニコラスの考え方だ。
パーティの際に、アトランタに住んでいる女性ポーリーンに聞いたのだが、彼女によれば、例えばアトランタの町の中心部が荒廃していくとする。すると、郊外にミドルクラス以上が住み始める。そこに、ミドルクラス以下や移民が住み始める。するとレベルダウンしていく。ミドルクラス以上がダウンタンに戻っていく。荒廃化していたダウンタウンが、レベルアップし始める。
昔よく、こうした合州国の町の荒廃化やドーナツ現象をよく聞かされたものだが、今も、あまり変わらないようだ。
アトランタには、メキシコからの移民も多い。彼らは中流以上が好まない仕事をしている。家には、ヒスパニック系が10人も15人も違法に住むことが少なくない。いわば彼らは出稼ぎで、メキシコなんかよりもいい賃金が得られるから、たまたま住んでいるだけで、合州国に永住する気はない。
スラム貴族(slum lords)といって、こうしたいわばアパート経営のようなもので稼いでいる富裕層がいるらしい。そもそも彼らには、アパートをきれいにしたいという要求がないから、アパート自体は荒廃化していく。
こうして、金持ちはますます金持ちになっていくという構造も、昔とほとんど変わらない。日本と同じように、3Kと呼ばれるような仕事は、こうした層にまかされているというわけだ。
私の同僚のオーストラリア人が言っていたのだが、日本はこうした層に中流層が関心をもたない。
例えば、トイレに行くと、清掃している人たちがいる。オーストラリアなら、挨拶をしたり、多少は関心をもつのに、日本じゃあまり挨拶をしないのではないかというのである。いわば、無関心であり、見えない人たちだ。こうした人々に対する意識的でない差別意識というのは、日本の方が強いかもしれない。
ところで、アメリカ人は、挨拶をする際に、ともかく身体接触を好む、それがルールになっている。
知人や友達と会うとき、すぐに抱き合う。頬にキスをする。私にすぐ抱きついてくる人は幸いにしていないけれど、しばらく交流して友人になれば、抱き合うことは普通だ。大体日本は、再会のときと、別れのときが、あまりにもあっさりとしてやしないか*2。
あまり前のことだが、日本じゃ、家族でも抱き合ったりしない。
さて、ニコラスは毎日歩いているだけあって、結構歩くのが早い。
歩きながら、話題は、あちこちに飛ぶ。
ニコラスの職業は、フリーランスのライターである。息子はバスケットボールのコーチで、なおかつ教師をしているという。彼の息子は教師よりも、バスケットボールのコーチの方が興味があるようで、バスケットボールのコーチとして優秀だったら、教師をしなくて済むらしい。できればコーチに専念したいとのことである。
カリフォルニア州知事についても聞いてみた。現在のアーノルド=シュワルツネッガー州知事だが、彼に言わせると、「他に代替を考えることがむずかしい」という。それでも「そもそも俳優が政治家に向いているかとは思わないが」とも、彼はつけ足した。
ニコラスの意見で面白いと思ったことは、アメリカ人は個人主義で、社会よりも、個人を重んじる。けれどもヨーロッパは違うというものだ。ヨーロッパは、個人よりも社会を重んじるというのだ。これは相対的な話で、日本の方が、もっと個人を重視しないだろうけれど。
ハワイなどの住宅地を高級化するために、管理会社の管理が厳しく、好きな色に屋根を塗れなかったり、規則が厳しいという話を聞いたことがあるが、ロサンゼルスでは、好き勝手に家を建てているようで、LAで素晴らしい建築といえば、このビーチそのものが素晴らしい建築物だと彼は言った。たしかに、このビーチはなかなかのものである。夕方の今、日も落ちてきたけれど、夕焼けに映える夕陽が美しい。
レストランで食べる夕食代も、どれくらいを考えればいいのか、ニコラスに聞いてみた。
「夕飯なんか20ドルで充分。夕飯に40ドルも払えるか」という、財布の固いアメリカ人がいるかと思えば、60ドル出せば、ワインも含めて最高級の飯が食えるというアメリカ人もいる。「100ドルなら」と私が聞くと、「100ドルは払いすぎだ」というから、日本の値段感覚よりも相変わらず合州国の方が夕飯は安いようだ。