感謝祭のパーティのために実家へ移動する

 さて、今日は感謝祭だ。
 ジェニーの実家で、生まれて初めて感謝祭なるものを体験できることになった。
 ジェニーの実家はランカスターにある。
 車で1時間30分くらいのところの標高3000フィートの高さの砂漠に立っている町で、NASAのプロジェクトから出来た町らしい。
 だから、地域住民はみなNASA関係者で、プロジェクトが小規模になってからは、町自体も縮小したようだ。
 実際にランカスターに行ってみて町を見た感じは、ニューイングランドという雰囲気で、芝生も木々もたくさん植えられているが、これらは、町づくりの際に植えたものだという。ともかく、ここいらあたりは、元は砂漠だったのだ。
 ジェニーの幼友達も近所にいるようで、昔馴染みの友達に会いに私もつき合ってでかけてみた。
 彼女の友人はジューイッシュ(ユダヤ系)で、旦那はニュージーランドに近いフィージー出身だという。
 彼らと、いろいろと話ができて面白かった。
 フィージー出身の彼と話をしてみると、フィージーの人間は、アフリカ出身でアジアを旅して、フィージーまでたどり着いたという。だからアジアとは関係がある。
 また、フィージーは太平洋の中心に位置しているので、いわばハブシティとも言える島だ。海洋を通じて、いろいろと交流があったはずだという。
 インド系とフィージー人との間に政治的軋轢があり、クーデターも起こったことがあるけれど、今は比較的安定していると言っていた。旅行するには問題ないだろうというのが、彼の弁だ。
 ジェニーにとって、ジューイッシュの彼女は旧友である。
 旧友と会うと、家族の状況の情報交換になるのが普通だ。病気の話や、就職の話など、こうした話は、どこでも変わりはない。
 このジューイッシュの彼女の家でも、七面鳥を焼いていた。
 彼らに別れを告げて、ジェニーの実家に我々は戻ることにした。
 感謝祭とは、一言でいえば、家族で七面鳥を食べる日である。
 90%以上の家庭で、七面鳥を食べているだろうというのはトニーの話で、ジェニーに言わせると99%くらいだろうとなる。
 料理途中で見せてもらった七面鳥は大きい。生まれたばかりの赤ん坊が、風呂につかっているくらいのイメージの大きさがある。
 ジェニーは、ジェニーを数えなければ、7人もの兄弟の一番上だ。
 今回の感謝祭に全員が集合しているわけではないけれど、その子どもたちの子どもたちも入れると、18人くらいのパーティだから、七面鳥もかなり大きくなければならない。
 ジェニーに言わせると、七面鳥と、マッシュポテト、それにグレービーソースが感謝祭に絶対に欠かせない定番だそうだ。それに、クランベリーソースがつく。
 このクランベリーソースの基本的な作り方は、ミキサーで刻んだクランベリーに、オレンジを皮ごと刻んだものと合わせ、砂糖を入れただけの簡単なものだ。
 クランベリーソースは、オレンジが溶ける翌朝の方がうまいという。
 サイドディッシュは、先ほど紹介したマッシュポテトに、えんどう豆の煮た奴。それから、七面鳥の中に入れたスタッフィと呼ばれるパンなどの詰め物。これは当然のことながら、七面鳥の旨味を含んでジューシーになる。他には南部でよく食べられるグリッツなど。グリッツは、とうもろこしのおかゆのようなもので、好き好きもあるけれど、日本人には合う食べ物だと思う。
 七面鳥は、オーブンの中で大体できあがってきてから、空気圧計のような温度計を刺して、さらに焼きあげているのが何ともおかしい。この温度計は、大きくて、まるで実験器具のようだ。
 さらに焼きあがってきた七面鳥の落ちた油を、大きなスポイトで何度も吸い上げて、いわばスープを取り出す。使う機器は、調理器具というよりも、さながら化学の実験のようで、なんともアメリカらしい。
 七面鳥を焼き上げる際に染み出るスープとは別に、七面鳥のレバーや肝を煮込んでスープをとり*1、さらにレバーや肝をスライスして、ミキサーにかけ、さきほどのスープとあわせる。そこに、小麦粉を入れて、薄茶色のグレービーソースをつくる。
 このグレービーソースは、イギリスの料理、キドニーパイのソースの味に似ている。
 キドニーパイの味は、日本人には好き好きがあるだろうけど、イギリス系の料理では、定番のひとつだろう。
 このグレービーソースにかける執念はすごく、七面鳥が焼けて取り出したあとに、いわば七面鳥のおこげが下にできる。この残った汁や七面鳥のおこげを入れて、色を濃くしている。
 グレービーソースの色合いも大事なようだ。
 味見をしてみると、確かによくなっている。
 口直し用か、フルーツサラダが食卓に置かれている。食後のデザートは、パンプキンパイやアップルパイで、これにアイスクリームをつけていただく。
 感謝祭は、ピルグリムファーザーたちが、殖民で苦労して餓死者まで出たことから、ネイティブアメリカンから助けられたり、野菜の作り方などを教えてもらったことを由来として、それに端を発している。
 当時、ネイティブアメリカンピルグリムファーザーたちは、友人だったかといえば、もちろん簡単にそうとは言えない。
 土地や物の売買など、交易はあったし、交流はあった。その意味の限りにおいて、「友人」と言えるかもしれないけれど、基本的に、白人は征服者であり、ウーンデッドニーでネイティブアメリカンが完全に征服されてしまったことを我々は忘れてはいけない*2
 基本的に、アメリカ合州国の大統領たちは、インディアンファイターの総指揮官たちだったのだ。
 感謝祭について、日本語のサイトは、こちらを参照のこと。
http://www.americaseikatsu.net/thanksgiving.html
 アメリカ合州国のサイトは、こちらを参照のこと。
http://www.plimoth.org/visit/what/exhibit.asp
 ネイティブアメリカンと白人は「友人」だったかなど、よくある質問が紹介されている。
http://www.plimoth.org/visit/what/1627.asp

*1:七面鳥の肝臓や肝は使うが、心臓の部分は使わない。

*2:この点では、私が今滞在しているニュージーランドも同じである。イギリス系白人にとっては、ニュージーランドかもしれないが、マオリからみれば、ニュージーランドは一貫して、アオテアロアであった。