オーストラリアのカウラにあった捕虜収容所の集団脱走による日本人大量殺害事件は有名な話だ*1。
戦前の日本の教育によって、名誉の戦死ならともかく、捕虜になって、おめおめと帰国することは生き恥をさらすことになるという考え方が徹底していたから、世間の眼を気にしてせっかく生きて帰ってきた息子を勘当するというようなこともあったようだ。捕虜になっていた日本兵士たち自身も、そう考えていたことは言うまでもない。カウラの事件は集団自決の性格が強いと聞いている。
フェザーストンの図書館で教えてもらったMichiharu Shinya氏の英語本は、その「あとがき」によれば日本語の訳本であるとのことだが、捕虜になって帰国した人たちが自らの体験を報告すること自体が大変なことで、報告するまでに長い時間がかかったという人が少なくない。Michiharu Shinya氏の場合も同様である。
オーストラリアやニュージーランドは、今でこそマルチカルチャリズムという考え方に立ち、共生的な考え方として積極的に、さらには、差別は損だという現実主義からもマルチカルチャリズムを現在は肯定しているけれど、以前にも紹介したように、中国人に対する蔑視観はあったし、日本人に対してもこれは同様だったろう。