捕虜収容所体験の日本人による手記

 もう一つは、フェザーストンの図書館で紹介を受けたMichiharu Shinya氏の本と同じく、櫻井甚作氏の個人の体験談にもとづくものである。自費出版された書物もあるが、以下はインターネットで読むことができる。
 フェザーストンキャンプ跡地前の公園で私が見た芭蕉の句の碑や、鎮魂の碑の経緯も、これでうかがい知ることができた。

 「われわれフェザーストン捕虜収容所から帰国できたものの悲願として、異郷の地で亡くなった同胞の慰霊碑を建てたいと以前から念じていた。
 しかし、厚生省も外務省も、建てた後の管理に問題がある、として許可が出ないでいた。とこらが、ほどなく彼の地から、フェザーストン収容所近くのニュージーランド・フェザーストン・メモリアルピクニックエリア内に戦争記念公園を造りたい、ついてはこの地域での戦争関係国だった、ニュージーランドをはじめオーストラリア、米国、日本などへ寄付を要請してきた。日本への割当はベンチとテーブルであった。この機会に、慰霊碑も建てさせてほしいとわれわれが希望すると、小さいスペースならオーケーと回答があった。
 われわれニュージーランド戦友会(元・陸海空の捕虜)と南星会(元・11、12設営隊の捕虜)が寄付金を出し合い、ベンチ、テーブルの費用のほかに『鎮魂』のプレートと芭蕉の句「夏草やつわものどもが夢の跡」のプレート、そして桜の苗木をまとめて送った。
 除幕式は1979年(昭和54年)に地元市長、日本大使、市民によって盛大に行われた」
http://genkigaderu.net/perm03/GI_p39.html