批判的に学ぶことの重要性

 ニュージーランドと聞くときに、ニュージーランドのことを我々は、英語圏であること、クリーン・グリーンのイメージがあること、安全であること、そして物価が安いというような見方をしがちだが、それだけでよいのだろうか。
 もう少し言うと、英語をありがたがって学ぶような精神でよいのだろうか。
 私の言いたいことは、学ぶことは結構だが、批判的に学ぶべきではないかということだ。
 日本は、英米の文化を、我々が意識するしないにかかわらず、重視している。戦後は特にアメリカ合州国を重視しているのはご存知の通りだ。入ってくるメディアもCNNである。おそらくこれは強いものに巻かれるという考え方なのだろう。つまり、こうした日本の態度、つまり無批判的に学ぶという姿勢がよくないと私は思うのだ。
 だから、アメリカ合州国にべったりな割には、アメリカ合州国のことすら、よく知らないという現象が起こる*1
 無批判的という姿勢では、結局、中味のない、西洋かぶれの、植民地根性になってしまう。
 マオリに対する侵略的事実にしても、フェザーストンの日本人捕虜に対する発砲事件にしても、おそらくはあまり触れたくない歴史的事実であるかもしれない。しかし、きちんと議論をして歴史的教訓を学ぼうという姿勢は、残念ながら今の日本のレベルよりも、ニュージーランドの方が数段高いレベルにあるだろう。
 日本は、こんなんで、本当によいのだろうか。

*1:最近こちらで気づいたことは、ベーグルである。これはユダヤ人が発案した食べ物であるとウエリントンにあるベーグル屋さんでは、その由来が書いてあるが、こんなことも日本では案外知られていないのではないだろうか。