この土日と、私の仕事場では学園祭だった。
高校の英語教師という仕事をこれまで長年やってきて、結構大変なことが少なくないから、正直言って、この仕事を辞めたいと思ったことがこれまで何度かある。それでもずっと続けてこれたのは、なんといっても生徒のおかげである。ときには、この仕事をしていて良かったなと思える瞬間が実際たまに生じるから始末が悪い。それは、なんといっても生徒がものすごい力を発揮したときだ。
実は今回はじめて、私の担当する生徒(高校一年生)がクラスの劇に挑戦したのだが、本当に時間のない中で彼らはなかなかの舞台をつくりあげた。台本ができたのは、文化祭直前だったし、通しリハーサルだって発表前日までできない状態だったのに、高校生の力はすごいものがある。
ところで、そうした生徒の集団的な力を引き出すのは、やはり教師集団の力であると私は思っている。
それで、うちの仕事場の教員集団だが、これがなかなかの個性派集団であり、いろんな問題がありながらも、かなりの力のある集団だ。こうした仕事仲間は一日なんかでできやしない。これまで退職した先輩教員も含めて長年の努力でつくりあげてきた集団だ。ときに、大きな問題に直面することはあっても、遠慮なく批判しあって乗り越えてきた仲間である。
これからの時代、一芸に秀でた教師が数名いても仕方あるまい。生徒を鍛えるのは、やはり学校全体の教育力量である。当たり前のことだが、生徒が生き生きするためには、教師集団が生き生きしていないといけない。そのためにも教師集団がまず自主性を発揮しないといけない。
そうしたことをあらためて確認できた今日のような日は、なんとも気分がいい。
仕事場というのは、こうでないといけないと心底思う。