学校は、「民主主義の学校」でなければならない

amamu2006-05-22

 今朝の朝日新聞朝刊の「きょうの論点」という欄に、東京都教育委員会の例の「職員会議で採決禁止」について、通達を出した側の見解*1と、それに対する反対意見*2が掲載されていた。
 「校長が指導力を発揮できていない学校」の「原因は教職員による妨害ではない。教育に対する見識や学校運営のビジョンが欠けていて、教職員の信頼が得られていないなど、校長の資質のほうに原因があるケースが目立つ」と、「これまでに全国で1500以上の学校を回ってきた」経験をもち、学校教育学が専門の佐藤学氏(東京大学教授)が、現状の問題点をどう認識すべきか反論されている。
 佐藤氏は続けて、「いま学校が抱えている様々な問題の根源は、もはや校長と教職員組合の学校運営をめぐる主導権争いの中にはない。「選択の自由」の名のもとに、個人の自己責任を極大化し、組織や制度の責任を最小化する「新自由主義」的な教育政策こそがその根源ではないか」と問題提起されている。
 さらに教育というもののあり方の原型、現状の問題点、管理職の権限のあり方について、佐藤氏は次のように述べている。
 「教育は本来、子どもに対する責任、社会に対する責任であって、その責任は親と教師がともに分かち合うべきものだ。だが、学校運営に企業経営のモデルを持ち込む近年の教育行政のもと、教育は「責任」から「サービス」に転化し、教師は親や子どもへの過剰なサービスを強いられる。校長や教師も、「苦情処理」型の形式的な対応に追われ、教育から創造性が奪われてしまっている。 そうした中、校長のあり方が「教師の代表」から「管理・経営の専門家」へと変わってきている。にもかかわらず、それにふさわしい人材を校長に登用する仕組みになっていないのが問題なのだ。 校長に学校運営や人事のうえで強い権限を持たせるのであれば、校長に任期制を導入し、教師が校長を評価する仕組みも整えなければバランスがとれない」。
 佐藤氏は、「校長の資質の問題は棚に上げて、やみくもに上意下達型の官僚主義的な統制を強化することは、校長が教職員の信頼を得て真の指導性を発揮する方向には決してつながらないだろう」と、「職員会議で採決禁止」は、教育上、マイナスと見ている。
 最後の方で、「話し合いによる合意は認めない、上からの指示に忠実になりなさい、と言われている教師が、「皆で協力して民主的に物事を決めましょう」などと教えられるわけがない」と、「学校は民主主義の学校であるべきなのに、教育委員会がみずからそれを掘り崩すことにもなりかねない」と懸念を表明されている。

*1:東京都教育長の中村正彦氏。

*2:東京大学教授の佐藤学氏。