言語指導に終始していた私の授業

 英語教育において、パワー不足からリズム感の悪さとスピード感の不足が生まれていることは昨日書いた。
 授業では当然、パワー不足問題を解決するために、語彙指導と文法指導がおこなわれることになる。どのような語彙指導と文法指導をすべきかという問題は大切な問題として残るけれど、おそらく高校の英語授業で、語彙指導と文法指導をおこなわない授業はないだろう。
 私の授業も例外ではない。ということで、高校の英語授業は、パワー不足を補う授業、すなわち語彙指導と文法指導に偏りがちで、リズム感の指導やスピードの指導が抜け落ちる傾向があるのだ。
 別なことばで言えば、本来は、語彙・文法指導のような言語教育と、リズム感・スピード感をトレーニングする言語活動教育とを組み合わせて指導する必要があるのだけれど、時間不足から、言語活動教育の方はおざなりになってしまうということだ。
 私の場合、リズム感・スピード感を養う言語活動の指導の重要性は認識し、授業中にも強調してきたものの、言語活動の学びは家でやってきなさいと言いっ放しになっていたのが実態であった。
 これはあくまでも私の場合の話であるが、例外はあるだろうが、一般的にもそんなものだろうと思っている。