パワー不足からくるリズム感の悪さとスピード感の不足

 コトバを学ぶ際には、リズム・スピード・パワーが重要であるということは前にも書いたことがある。
 これはとくにコトバを聞いたり話したりという場合、リズムとスピードが大切であるからだ。とりわけリスニングは待ってくれない。そもそもの相手のリズムとスピードというものがある。自分が話す場合はどうか。外国人の話すコトバだから、母語話者の相手も多少は待ってくれるだろう。それがエチケットというものだが、それでも、あまりにも遅かったり、リズム感が悪ければ、コミュニケーションとしては支障をきたす。
 これらと比べると、読んだり書いたりというのは、自分ひとりの作業だから、やろうと思えば好きなだけ時間をかけることができるけれど、「言語活動的に読む」となれば、話は別である。「言語活動的に読む」となれば、そこにリズムとスピードという概念が入ってくるからだ。
 「言語活動的に読む」ということを理解するために、もっと分かりやすい話をしよう。高校1年生の英語の教科書のレッスンが1課分6分くらいだ。一年間でおこなう授業でこなすレッスンは10課くらい。となれば、本文だけを、ぶっ続けで録音するとすれば、60分、1時間ほどのメディアがあれば収まってしまう。
 もちろん教科書のレベルにもよるけれど、比較的簡単な教科書であれば、英語教師なら、1年間分の予習を無理をすれば1時間ざっと聞くだけで終わるはずだ。一度で無理なら、何度か聞けばいい。もちろん、分からない語彙や精読すべき箇所はあとでじっくりやる必要があるだろうが、こんな感じで予習として済ませることができる。
 「言語活動的に読む」というのは、これに近い。教材の難易度にもよるけれど、英語教師のレベルは、私が言うところの「理解のともなう音読」ができるレベルだし、聴く活動と読む活動とがつながっているレベルである。
 けれども、初級者にはこんな言語活動的な読み方はできない。だから、言語的に教材を扱わざるをえない。すなわち、一週間に4時間、一年間かけて、ねちねちと教科書を教えることになる。
 最初の話に戻ると、リズム・スピードを支えるのは、パワーである。英語教育でいうと、語彙や文法力のパワーである。こうしたパワーがなければ、リズムにもついていけないし、スピードにもついていけない。
 それでパワー不足の初級者に、教材の中に登場する語彙や文法を教えていくと、今度は、教材の話が見えなくなってしまうことが往々にしてあるのだ。
 パワー不足からくるリズム感の悪さとスピード感の不足である。