「小田実の英語50歩100歩―自まえの英語をどうつくるか (河合ブックレット)」を再読した。
河合ブックレットから出されたこの異色の本は現在手に入りにくいようだが、とても面白い本だ。
英語モデル論というのは、英語教育論として大切なテーマのひとつである。
具体的な問題としてでなく一般的観念として英語を身につけたいと決意した場合、さて、どういう英語をインプットしたらいいのかという問題が出てくる。そして、意識なく無批判的であれば、現在主流の英語モデルを何も気にせずに学ぶことになる。それで大方は、このインプット段階の話で終わってしまうのだが、アウトプットのモデルとしては、どういうものがいいのかという問題が残る。
実際、こうしたアウトプットとしてのモデル論に対する提言は、これまでいくつか出されている。
たとえば鈴木孝夫氏のイングリック、渡辺武達氏のジャパリッシュなどのことだが、小田実氏のイングラントもそのうちの一つであり、先駆けである。
氏の英語教育論は、「何でもみてやろう」という世界放浪の氏の体験から身につけてきたものだから、説得力があるのだと思う。
言うまでもなく、英語モデル論を真剣に考えるとなると、政治の問題を考えざるをえない。
母語の問題・多言語の問題を考えるとなると、英米の問題と植民地化の問題を考えざるをえない。
ひいては、階層差・地域差、そして方言、言語差別の問題を考えざるをえない。
「小田実の英語50歩100歩―自まえの英語をどうつくるか (河合ブックレット)」の中には、こうした問題が語られている。
小田実氏はピジンというコトバは使っていないが、ピジンの問題も重要な問題だ。
またplain Englishというコトバは使われていないが、plain Englishの問題にも触れられている。
日本の英語教育のおかしな点、幼稚な点、ダメな点にも触れている。
「ここでめざすのは、日本語、英語双方ともに、英語で言うなら《printable》はおろか《readable》もまず至難で、とにもかくにも《understandable》の文章だ」と喝破される小田氏の英語教育論から私たちが学ぶものは少なくない。