13年ぶりに再開したスキーだが、生まれてから数えると今回が7回目。今シーズンでは3度目のスキーになる。
生まれて初めてスキーをやったのが前にも書いたようにアメリカ合州国のロッキー山脈にあるヴェイル。約30年前の話だ。家族スキーで猫魔と安比でボーゲンを習ったのが、家族スキー。それではこれからスキーでもやろうかというところでストップ。仕事の関係で13年ぶりに最近行きだしたということで、私の場合、スキー旅行の回数も少ないし、それぞれの体験がかなり離れている。7回といっても、その7回は30年間の話である。実際、その間、スキー板だって、随分と変わった。ショートになったのである。最近はカービングスキーとかミッドスキーとか、短めのものが普通だ。
これほど私のスキー経験は乏しい。15年に1度くらいのペースでしかやれないというのが時間貧乏の私の悲しい現実だ。それでも、その数少ないスキーの経験というのでも役に立っていることは確かなことで、私のような貧弱なスキー体験でも、全くないよりは数段ましと言える。
スキーというものは、なかなか簡単には楽しむことができないスポーツだ。その点で、スキーは、ある意味、スキー板をはいて、不自由な状態から、スキルを学び、再び自由を獲得するスポーツとも言える。この点、変なアナロジーだが、英語学習と似ているところもある。英語学習とは、英語という「板」をはいて、まさに不自由な状態から、ひとつひとつスキルを学び、再び自由を獲得するという、奥が深く時間も長くかかる学びでもあるのだ。
スキーでどんな点が大変かというと、たとえば、道具に慣れること、スキー板をはいて平地を歩くこと、斜面を歩くこと、リフトに乗ること…。これらだってかなり大変なことになる。私のような下手くそなビギナーで、多少プルークボーゲンができる程度でも、それでも全くやったことのない人よりも数段ましで、それはかなりの力とも言えるのだ。
この点も英語学習と似ているかもしれない。英語の基礎力があれば、全く英語の基礎がない人たちよりもかなりのことが楽しめるはずなのだ。
現実的には英語の場合、そのスキルをためすフィールドがない、つまり日本の言語環境が問題なのだが、これも私にとってスキーを楽しむフィールドが遠かったことと似ているといえるのかもしれない。
つまり、何事もフィールドがないと話にならないのである。スキーの場合、ゲレンデや雪山がフィールドだし、英語の場合、英語の言語環境がフィールドだ。ダイビングの場合、海がフィールドになるだろう。そうしたフィールドがなければスキルの向上といったって、それは無理な話である。
私自身の小学校時代の音楽の授業のとき、紙鍵盤でキーボードを習った、なんとも笑えぬ思い出があるが、それで音を楽しめといっても無茶な話である。
何事も、フィールドが大切ということだ。
ということで、初級者用のコースなら、何とか楽しめるようになったので、今シーズン3度目のスキーを楽しんでこよう。