「『学び』という希望」を読んだ

「学び」という希望


 尾木直樹さんの「「学び」という希望――震災後の教育を考える (岩波ブックレット)」を読んだ。

 東日本大震災、そして福島第一原発の事故が深刻な放射能汚染を引き起こしているにもかかわらず、「子どもたちの状況はどうか、学校、教育はいったいどうなっているのか、といった議論が、あまりなされていません」とあるように、ポスト3・11で教育は変わらないといけないのに、それほど変わっていないことについては、私自身忸怩たる思いがある。
 

子どもたちが震災の影響で不安な状況下に置かれてイライラしている。疲弊している。なのに、学校現場では、震災以前と何も変わらずに、授業のコマ数をこなすことが最優先される。しかも、その授業の中身も依然として、テストや受験のための知識を詰め込む内容がほとんどです。子どもたちが、将来、この社会をどう生きていくのか、人々と困難を共有していかに克服し、生き抜くのか、その力をどう身につけさせるのか、というダイナミックな「生きる力」の養成という視点が欠落しているのです。子どもと社会をつなげる視点や回路が、あまりにも弱いのです。だから、震災のような事態が起きても、それに対応することなく、今まで通りのカリキュラムを実施することに気をとられてしまうのです。

 この本の中で書かれている「幸福感が低い日本の子ども」「日本の子どもの自己肯定感の異様な低さ」「子どものうつ」という状況認識、「学ぶことを喜びに」、「『批判的思考力』こそが必要」などの主張には、共感・賛同できる点が少なくない。
 「おわりに」で紹介されている井上ひさしさん作詞の釜石小学校の校歌は初めて知ったが、感動的であった。
 ポスト3・11における教育のあり方を考え、実践しなければならない。