尾木直樹さんの文庫書き下ろし、尾木ママの「尾木ママの「脱いじめ」論 (PHP文庫)」論を興味深く読んだ。
いじめは「心と身体への暴力」であり、「心への虐待行為」である
携帯による今日的特徴についても言及されている。
ケータイによるいじめが行われると、三六五日二四時間いじめの被害から逃れることができなくなります
アメリカやオランダ、カナダ、北欧などのいじめ防止先進国。
アメリカのマサチューセッツ州。2010年に打ち出した「いじめ対策法」。教職員向けに「教職員はいじめの予防と介入方法に関する研修を毎年受けなければならない」という内容が盛り込まれているという。
二十二年の教員生活を振り返ってはっきりと言えることは、家庭や社会から愛されてきた子は大きな問題行動は起こさないということです。とくに家庭で大事に愛されて育ち、親子関係もよい子がいじめをした事例は一度たりとも見たことがありません
いじめがそもそも何を原因として発生しているのか。それを分析してみると行き着く先はひとつ、「ストレス」です。これは多くの調査研究結果からも証明されています
いじめっ子の心理は動物虐待にそっくりなのです。動物が苦しむ姿を見ること自体が快感なのではなく、それによってストレスを発散させたり、自分の姿を投影して癒されたりする“癒し”効果を得ているのです
国際的にも、いじめ克服の最大のポイントは、加害者がいじめをしたくなるストレス源を取り除き、人間的発達を促す教育にあるとされています。
しかし日本の場合、いじめられっ子をいかにいじめから救済するかにばかり力が注がれ、加害者をどう加害行為から脱出させるかという視点がありません
文庫の帯に書いてあった、「いじめられっ子になることよりいじめっ子になることを心配してください!」というのは、至言である。
ペナルティも、その発想や行使の仕方によっては人間の尊厳を傷つけ、体罰以上に子どもへの虐待の性質を帯びます
「人権・愛・ロマン」にもとづく学校づくりを
「受容と寛容」という観点で書かれた以下の文章は、全く同感である。
子どもは失敗の天才、何回も同じミスを繰り返します。その克服には、脅しやペナルティ、子どもだましの操作的手法をとるのではなく、子ども本人の改善への意欲を喚起することが肝心であり、また必要です。「子どもたちを丸ごと愛す」、「丸ごと受け入れていく」寛容な対応と構えが教師の側にあることで、子どもたちは安心感を覚え、元気や自己変革のパワーを生み育てていくことができます。
教師が生み出す「受容と寛容」の雰囲気は、規律を喪失させることにはなりません。むしろ子ども同士の中にも、認め合いと許し合いのムードを醸成していきます。教師に対しても寛容の精神で応じてくれるでしょう。
子どもの失敗を受け入れる受容と受け止められる寛大さは、甘い対応や見逃すこととは違います。子どもが失敗を繰り返すこと、人間的弱さを露呈することへの共感と、それを乗り越えようとする子どもの成長・発達への信頼なのです