1年ほど前に吉野源三郎さんの「人間を信じる (岩波現代文庫)」という本を買った。「ヒューマニズムについて −人間への信頼」「理想と現実」「思想のリアリティと同時代」などの論稿はすぐに読んだが、読了はしていない。
「ヒューマニズムについて −人間への信頼」は、1967年「ジュニア版吉野源三郎全集2 人間の尊さを守ろう」(ポプラ社)が初出のようだ。
以下の引用は、その「ヒューマニズムについて −人間への信頼」から。
人間は卑劣なことをする可能性も、残虐なことをする可能性も、醜悪なことをやる可能性も持っているし、同時に、高貴な行動をとる可能性も、無私の親切をおこなう可能性も、みごとな行動をとる可能性も持っているのでした。そして、そのどれをも選べる自由を持っているということほど、人間的なことはないのです。
これは、「人間は天使になろうとして豚になる」存在という渡辺一夫さんの思想*1とも通じるところがあるかもしれない。
吉野さんの「人間を信じる (岩波現代文庫)」は、自分がヒューマニズムについて関心をもちはじめた頃に買ったものだが、「人間への信頼」について、吉野さんの次の言葉は、共感できる。
自分自身が思っているよりもずっと深く、人間が人間への信頼をほしがっている、ということは、私には一つの発見でした。
思い起こせば、大昔の自分の高校時代、当時の私はニヒリストだったから、自分の頭には、「人間は信頼できるか」という問いが占めていた。ニヒリスト・ニヒリズムといっても、高校生のことだからそれほど大したことではないけれど、でもそれは、人間を信頼したいが信じることができない。可能であれば、人間を信頼したいということだったのだろう。
だから、吉野さんの言葉に共感できるのだ。
吉野さんの「ヒューマニズムについて」は、何度も読みたい論稿である。