「マンザナ、わが町」を再度観てきた

マンザナ、わが町

 できのよい劇の場合、何度も観たくなって困る。
 これはもっとよくなるだろう。よくなるはずだと思う劇も、また観たくなるから、これまた困る。
 「マンザナ、わが町」は、本公演の初日の頃に観たから、後者だった。
 これはもっとよくなるだろう。よくなるはずだと思って再度観たが、予感的中。良くなっていた。二度観てよかった。素晴らしい舞台だった。

 マンザナという地名は、語源はスペイン語からのものだという。大西部には、ネイティブアメリカンの地名もたくさん残っていて、スペイン語同様に、日本語の発音に似ている地名が少なくない*1
 なんといっても井上ひさしさんの戯曲が素晴らしい*2。これを演じる俳優さんたちは、「マンザナ、わが町」の場合5名の女優さんたちだが、大変だ。前回観たときよりも、こなれて、5人の女優さんたちの連携もぐっとよくなっていた。その団結こそ、作家が表現したかったもののひとつだろう。

 「マンザナ、わが町」は、日系アメリカ人のお話。
 アメリカ史を学ぶべき英語教師必見のお話でもある。
 レイシズム(racism)。ヘレンフォーク(支配民族)からは、見えない存在(invisible)。日系アメリカ人の人権問題。黒人的存在に比する。
 日本語と英語の発想の違い。大項目から始める日本語と小項目から始める英語の、それぞれの住所の書き方。引いて切る日本ののこぎりと、押して切るアメリカののこぎり。
 浪曲語りと、ジャズやポピュラーソングとの対比。それが熊谷真実さんが演じるオトメ天津と笹本玲奈さん演じるリリアン竹内の歌合戦へと発展していく。
 "God Bless America"の使い方。ダンスの場面では、ミュージカル「雨に歌えば」("Singin' in the Rain")の挿入歌が使われているような気もした。
 日本の唱歌も、元歌はスコットランド民謡であったりする。その意味で、文化はクレオールなのではないか。舞台であったように、料理のおじやと一緒で、いろいろな民族文化の素材をぐつぐつ同じ鍋で煮るようなものだ。
 それが、オトメ天津とリリアン竹内との歌声が体現していた。

 それにしても、井上ひさしさんの劇は、これでもか、これでもかと、歴史的逸話がてんこ盛りだ。
 アメリカ合州国は、西へ西へとフロンティアを求めて、問題を解決してきたという、マニフェスト・デスティニィ(Manifest Destiny)や、西洋人に劣等感をもち、アジア人を蔑視するという日本人のナショナリズムアメリカ史で必要なものは全部入っているという感じ。

 演劇論、演出論が出てくるから、劇中劇の使い方も面白い。
 土居裕子さんの演じるソフィア岡崎は、ジャーナリスト。文章を書かないと生きることができないその姿勢は、井上ひさしさんの写し絵ではないのか。
 黄色も、黒も、白も、赤も、茶色も、地球の色は、それぞれ美しいと謳い上げるのは、井上ひさしさんの理想、ユートピアだろう。土台には、アメリカ黒人のBlack is Beautifulにも通じる思想が感じられる。
 そして、たとえ強制収容所の中でも、自分たちの暮らしをよりよいものにできるのは、自分たちなのだという理想が謳いあげられる。

 第二部の、セクハラの指摘で問題解決と一瞬思わせて、ジョイス立花・リリアン竹内・オトメ天津・サチコ斎藤の、それぞれ自分の内面から湧き出るコトバで抗議して、問題解決にもっていくという捻りは凄い。
 セクハラで問題解決では、浅すぎるということなのだろう。このあたりの井上ひさしという作家の深化が凄いと思う。

 「マンザナ、わが町」は、すべての日本人、そしてすべての人間、わけても日本人英語教師に推薦したい井上ひさしさんの力作である。
  

*1:パートナーと一緒にアメリカ合州大西部をレンタカーで走り、ネイティブアメリカンの行商と話をした時に、日本語は、内容はわからないが、自分たちのことばに響きが似ていると言われたことがある。

*2:「マンザナ、わが町」の初演は、1993年。