
書庫の書棚にあるほとんどの本は俺が自分で買ったものだが、その中に、何冊か他人からいただいたものがある。
誰からいただいたのか、記憶ははっきりしないのだが、「指導者 この人びとを見よ」本多顯彰(光文社・カッパブックス)という本もそうした一冊である。おそらく職場の先輩からいただいたのだろう。「昭和30年10月1日初版発行」とあるから、60年以上も前の本である。
著者の本多顯彰(ほんだ・あきら)は、愛知県生まれ。名古屋の八高を経て、東大英文科を卒業し、英文学者・翻訳家・評論家となる。法政大学文学部の教授時代に、谷川徹三や三木清、戸坂潤らとの交流があった。
戦前・戦後の人々の観察をもとにして実名をあげて書き下ろした本書によって、筆者もふくめて傷ついた人びとが多かったろうと思う。
学園が軍部によってをふみにじられるとき、それは、それを受け入れる大学の知識人たちがいた…。
真珠湾攻撃に喝采をした知識人…。
昭和30年(1955年)、本書が執筆された時代に、著名な人々が実名で語られていく。
むろん、その思想のゆえに投獄されたひとは多かったが、国民のまえに敢然反戦をとなえ、そのために投獄されたというひとは、ひとりもいなかった。しかも、心の底ではほとんどあらゆる大学教授が反戦的であったのである。だからこそ、戦後になって、自分は戦争に反対であったといわなかった教授はほとんどない。けれども、反戦は、心の底でくすぶっているというだけでは、まったく無効である。反戦を結集する知恵も、反戦を叫ぶ勇気も、ともに欠けていたことが、われわれを不幸にし、終生の悔いをのこしたのである。
「指導者 この人びとを見よ」本多顯彰(p.42)
著者は冒頭の「まえがき」で、次のように結んでいる。
私がここに、国民の代表者としての文化人を書くのは、彼らをはずかしめるためでは、けっしてない。彼らによって代表される日本人の弱さ、もろさを、われひととともに反省し、ふたたび戦争をくりかえさないという覚悟を新たにせんがためである。
光文社出版局の編集長加藤一夫氏が来られて、テーマは?と問われたときに、私は言下に「平和です。」と答えることができたのである。
昭和三十年八月二十八日
本多顯彰