以下、朝日新聞デジタル版(2017年10月14日05時00分)から。
今回の衆議院の解散は、一言でいえば、不誠実な解散である。
野党4党などによる臨時国会召集の要求書が6月に出されながら、憲法により召集義務を課された内閣がその要求を3カ月放置した上、ようやく召集した国会を、自民党が選挙で勝つには今しかないというもっぱら政局的な判断から、いきなり解散したこと。8月3日に内閣が改造され、首相が「仕事人内閣」とまで高言した大臣たちに、閉会中審査を除き、国会で「仕事」をする機会を与えぬままの解散となったこと。野党からの厳しい追及を避けるためという以外には説明のしようがない一切の審議を回避した冒頭解散に、取って付けたような解散理由をつけて、臆面もなく「国難突破解散」と自称したこと。
北朝鮮問題のほか、再来年10月に予定される消費税率引き上げに際しての税収の使途変更という本来であれば国会で論戦すべき問題を、「国民生活に関わる重い決断を行う以上、速やかに国民の信を問わねばならない」と大語して、むしろ国会を閉じる理由としたこと。その結果、自ら煽(あお)った「国難」のさなか、あえて政治の空白を作り出すという自己矛盾をおかして平然としていること。自己矛盾は、国会閉会中の有事に備えた緊急事態条項がぜひとも必要だとして自民党が検討している憲法改正案に照らすとき、一層際立つこと。その全てが、不誠実というよりほか表現しようのない解散劇であった。
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この政権および政権与党は、国会審議の重要な局面において不誠実であることが多かった。今年6月、国民から審議の継続を求める声が強かった共謀罪法案を(「特に緊急を要する」(国会法56条2項但書)という要件を充(み)たさないにもかかわらず)委員会採決を省略する「中間報告」という便法により成立させた。2年前には、安保法制を正当化するために、集団的自衛権に言及さえしていない砂川事件最高裁判決と、集団的自衛権の行使を違憲とした過去の政府見解とを根拠に、集団的自衛権の行使を逆に合憲と強弁した。
不誠実が、個人の人格あるいは組織の体質の問題なら、道徳的に批判すべき問題にとどまる。不誠実ゆえに法案が成立しても、通常は、結果である法律の内容が適切かどうかを問題とすれば足りる。
けれども、自らを縛っている規範を物ともしないかのような現政権の不誠実は、法的な不誠実というべきものである。
「中間報告」は、プライバシー侵害の重大なおそれのある法案に対しては、適切なセーフガードを用意すべく熟議しなければならないとする規範を無視する振る舞いであった。砂川判決や政府見解を恣意(しい)的に援用することができたのは、自衛のための措置は「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされる」「急迫、不正の事態」を排除するための「最小限度」でなければならないとする規範を、本当に厳重な縛りとは考えていなかったからだろう。
今回の解散は、解散権は内閣の重要政策が衆議院多数派によって反対されるなど、どうにも行き詰まったときに行使されるものだとする議院内閣制の根本規範をあってなきが如(ごと)きものとする意識(「解散は首相の専権」)の上にのみ可能だった。
国会議員をはじめとする公権力担当者は、自由な社会が彼らに課した拘束に対して誠実であるべき義務を負う。日本国憲法は憲法違反の行為を無効とするだけでなく、公権力担当者に憲法尊重擁護義務(憲法99条)を課した。憲法に対して誠実であるべき義務とは、憲法違反の行為をしない義務にとどまらない。それは、公権力担当者に対し、憲法が課すハードルに真摯(しんし)に向き合うこと、乗り越える場合にも正面から越えることを要求し、ハードルをなぎ倒したり、横からすり抜けたり、ハードル自体を低いものに替えることを不誠実とする。
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目標としての護憲か改憲か以上に、政権を担う者を評価する上で本質的なのは、憲法に対して誠実であるか不誠実かの対立軸である。憲法改正を主張するとしても、個々の憲法条項による公権力への拘束を重く受けとめ、限界まで解釈を試みた上で、他に選択の余地がないと国民が納得できる仕方で改憲を主張するのが、憲法に対する誠実である。
自民党による改憲の主張は、この点で、憲法に対して不誠実であるといわなければならない。同様に、「一たん現行の憲法を停止する……今のしがらみとか既得権とか、今のものをどのようにどの部分を……変えるというような議論では、本来もう間に合わないのではないか」(2000年11月30日、衆議院憲法調査会での小池百合子議員発言)という形で、「しがらみ」を「リセット」するように改憲を主張するのも、憲法への不誠実である。
だが、問われているのは政治家だけではない。政治家が憲法を尊重擁護するのを励まし、支えるのは、国民一人一人の役目である。公権力担当者を縛る規範に対して政治家が誠実であるか否かを、われわれは見ていなければならない。
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