「白けず、流されず、私の一票 衆院選 編集委員・福島申二」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2017年10月18日05時00分)

 その後に驚きは色々あったが、原点は9月25日である。安倍晋三首相の衆院解散表明をテレビで聞いて、いやはや政治家というのはたいしたものと、妙な感慨を新たにした。

 これでもかの強弁の末に、会見が終われば「自己都合」という解散の本性は「国難突破」なる大義に化けていた。思い浮かんだのはイカの墨だ。

 敗戦直後に流布した「一億総ざんげ」。それを「支配層の放ったイカの墨」と喝破したのは政治学者の丸山真男だった。イカが吐いた墨に紛れて逃げるように、「総ざんげ」に隠れて指導層の戦争責任をうやむやにしようとした、と。

 この解散総選挙も、森友・加計疑惑を隠し、逃げるという本性において類似のものと言えるだろう。選挙費用は約600億円。高価なイカの墨である。直後の世論調査で、解散理由に納得しない人が7割を占めたのは当然だった。

 ところが、希望の党の旗揚げから民進党の分裂を経た離合集散の醜状は、安倍政治の七難を白ペンキで塗り隠してしまったようだ。公示後の情勢調査では、与党が大きく翼を広げている数字が浮かび上がった。

 しかし多くの人はまだ態度を決めかねている。そもそもこの選挙は何なのか。政治家のための選挙か国民のためか。どう投票すれば、どう政治に作用するのか。横紙破りの解散に始まり、保身と打算の右往左往を見せつけられた苦々しさが、膨大な票をさまよわせている。それが、投票まで4日となった今の光景のように思われる。

 こんな政治のあり方に腹も立てず、どうでもいいさと白けてしまうには、選挙後の政治はあまりにも重大だ。たとえばトランプ政権との距離にしても、あの大統領と価値観をべったり共有して、対立と分断が進む世界に巻き込まれていってしまっていいものだろうか。

 巨額の財政赤字をどうするかは、未来世代への私たちの大きな責任だ。理想の候補はいないにしても、投票所へ行って少しでもましと踏む名前を書く。かのスヌーピーの名言を借りるなら「配られたカードで勝負するっきゃない」のである。

 収穫の秋である。稲の脱穀のとき、実入りの悪いものを風で飛ばし、良い粒を選別する方法を「風選(ふうせん)」という。選挙に風はつきものだが、世論とも呼ばれる大きな風に流されず、自分の吹かせる風で候補者と政党を風選したい。

 何を求め、何を守る。ポケットの一票を握りしめて、私の意志を研ぎ澄ます。