「(インタビュー)デジタル通貨の行方 経済学者・岩井克人さん」

amamu2018-01-18


 以下、朝日新聞デジタル版(2018年1月18日05時00分)から。

「数が限られた希少品でも、交換可能と人々が思わなくなれば、タヌキの葉っぱになるのです」=山本和生撮影

 インターネット上の仮想通貨「ビットコイン」の価値の変動が激しくなっている。お金として使える店も増えてきたが、不安定なビットコインは「貨幣」なのか。国家が管理を独占してきた貨幣の存在が、技術進歩で揺らいでいる現代。デジタル通貨や中央銀行、国家の関係を、貨幣論で知られる経済学者の岩井克人さんに聞いた。

 ――ビットコインは、1年前の1コイン=10万円程度から年末に200万円超に急騰後、下落するなど乱高下しています。新しい「貨幣」と言えるのでしょうか。

 「2009年の登場以来、ひょっとしたら貨幣になるかもしれないと考えてきました。しかし、この1年で考えが変わりました。もはや、貨幣になる可能性は極めて小さくなってしまった。最初は麻薬の地下取引などで利用が広がったため、そのまま静かに一般取引でも利用が広がれば貨幣になる、というシナリオも描いていました。しかし、逆説的ですが、人々が『貨幣になるかもしれない』と期待と興奮の中で値上がりを目的に買い始めたことが、逆に貨幣になる可能性を殺しています。13年のキプロス危機の際などにはビットコインへの資金逃避もみられましたが、これだけ値動きが激しいと逃避先にもなりにくくなる」

 ――貨幣になるには、何が不足しているのでしょうか。

 「いえ、逆に過剰な価値を持ってしまったのです。あるモノが貨幣として使われるのは、それ自体にモノとしての価値があるからではありません。だれもが『他人も貨幣として受け取ってくれる』と予想するからだれもが受け取る、という予想の自己循環論法によるものです。実際、もしモノとしての価値が貨幣としての価値を上回れば、それをモノとして使うために手放そうとしませんから、貨幣としては流通しなくなります」

 「ところがビットコインは、数が限られて将来価値が上がるという期待感から、それ自体が『値上がりしそうな資産』という一種の価値あるモノになってしまった。事実、この1年で大変な投機の対象になりました。値上がり益を期待して手にする限り、だれもそれを他の商品との交換手段などにしない。もうからないからです」

 ――一方、使える店やサービスは増えており、日本も資金決済法を改正して通貨に準ずる扱いにしました。この動きのギャップは、どう考えればよいですか。

 「値上がりしているので事業者が受け入れを始める一方、人々は値上がり益を期待して貨幣としてはあまり使わない、という矛盾が起きています。もちろん、価値が下がると思い始めたら人々は急いで貨幣として使おうとするでしょうが、その時、事業者は受け入れを続ければ損をするので、受け入れをやめるはずです。ただ、投機家はこうした動きのタイムラグを見越し、だれかがババをつかんでくれると思って投機をしているのかもしれない。現実に多少なりとも支払い手段として使われている以上、対応した法整備は必要ですが、それが貨幣になることを保証しているわけではありません」

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 ――何かが貨幣になるとは、簡単なことではないのですね。

 「貨幣が貨幣になるまでのプロセスは複雑で、様々な可能性があります。ただ、多くの人が交換手段として受け取ってくれるという安心感がじわじわと広がらないと貨幣にならない以上、非常に長い時間を要します。たとえば日本の和同開珎も、8世紀にいきなり朝廷が流通させようとしましたが、定着しませんでした。ところが12世紀になり、日本海側で中国や朝鮮との貿易が広がると、唐銭や宋銭といった中国の貨幣が日本でも流通し始めたのです。世界の基軸通貨も、米国が19世紀末に国力で英国を超えた後も、しばらくはポンドのままでした。半世紀かけて、世界中の人が他の人もドルで決済をしていると安心するようになったからこそ、第2次世界大戦後にはドルになったのです」

 ――中国は昨夏、ビットコインの取引所を閉鎖しました。

 「発行するだけで『無から有』を生み出せる貨幣は、昔は王様の重要な収入源でした。現代では、人々を一つの貨幣圏に囲い込むことで、国内市場を統一し、政府や中央銀行の統治力を高める効果もあります。日本でも、明治政府が藩札を廃して単一通貨としての円を導入したことが、国内市場の形成に大きな役割を果たしました。中国政府が取引所を閉鎖したのは、人民元を通した自国の統治力を守る動きにほかなりません」

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 ――ビットコインは、ネット上で取引記録を共同管理する仕組みで、通貨の管理者だった中央銀行が不要になるとも言われました。

 「デジタル通貨にとって課題だった偽造や二重払いの防止を、ブロックチェーンと呼ばれる革新的な技術でクリアしており、機能的には貨幣に求められるものをすべて備えています。しかも、紙幣や硬貨より送金コストが低く、預金の管理費用も低くなった。それでも私は、貨幣価値の安定には中央銀行のような公的な存在が必要であり、中央銀行を不要とすることを目的としたビットコインは、万一貨幣になっても長期的には滅びると考えています」

 ――貨幣になったとしても滅びる、とはどういう意味ですか。

 「貨幣は、だれもが『他人も貨幣として受け取ってくれる』と予想するから貨幣として受け取る、という自己循環論法で価値を持ちます。従って、その予想が危うくなるとだれも受け取ろうとしなくなり、その時、貨幣は貨幣でなくなる。これがハイパーインフレですが、このような不安定性は貨幣の原罪であり、貨幣経済に生きる限り、その可能性から絶対に逃れられない。だからこそ、有事に経済を制御する中央銀行のような公共機関が絶対に必要なのです。しかし、そもそもビットコインの基本思想は自由放任主義で、だからこそ個人の匿名性を保護できるネット上での分散管理技術(ブロックチェーン)を導入したのです。『中央』を排除するために生まれたビットコインは、まさに『中央』を持たないがために、仮に貨幣として流通したとしても必ず滅びます。もちろん貨幣になる前に滅びる可能性がはるかに高いですが。私はビットコインの設計者としてのナカモトサトシは尊敬していますが、残念ながら貨幣の本質を十分には理解していなかった」

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 ――各国の中央銀行は、ビットコイン技術を応用した公的なデジタル通貨の研究に取り組んでいます。国境を超えた世界通貨が生まれる可能性はないのでしょうか。

 「今はドルが世界経済の主役ですが、私は一国の通貨が世界の基軸通貨でもある仕組みは、基本的に不安定だと考えています。もし、米国中心主義のトランプ政権下で米国の中央銀行が内向きな金融政策をとり続けると、ドルが信頼をなくし、基軸通貨の地位を失う危機が来るかもしれません。その緊急事態の中で新たな基軸通貨が生まれるとしたら、世界銀行的な『中央』によって管理されるデジタル通貨である可能性が高い。紙幣を新たに刷る時間がないからです。だから、ビットコインの技術を生かしつつ自由放任主義的な思想は補正して、より効率的に『中央』が管理するデジタル通貨の研究は、次の時代の予行演習になっていると思います」

 ――「中央」がデジタル通貨を持つと、売り買いを把握される監視社会になる懸念があります。

 「確かに、ビットコイン的な技術は両刃の剣です。今は個人の匿名性を守る構造ですが、少し設計を変えれば、作家ジョージ・オーウェルが『一九八四年』で描いたように、『中央』が全ての取引を把握できる超管理社会の道具としても使えるようになる。ところが市場経済、そして民主主義的な社会がうまく機能するには、個人の自由が確保されなければならない。そのためには例えば複数の機関が役割分担して分権的な形を取りつつ、かつ全体の供給量は調節する、そんな匿名性と安定性を両立できる仕組みが望ましい。それがうまくいかないなら、現在の通貨のままの方がいいかもしれません。自由放任主義ビットコインがだめだからといって、次は『中央』によるデジタル通貨だと、極端に振れる必要はありません」

 ――ビットコインの技術がきっかけで、私たちを自由にするものだったはずの貨幣に、逆に束縛されるようになるなら皮肉的です。

 「マルクスが『急進的平等主義者』と呼んだように、貨幣は人間に『自由』を与えました。人間は貨幣さえ持っていれば、共同体的な束縛から解放され、身分や性別や人種を超えてだれとでも取引できるからです。もちろん、不平等も生み出しましたが、それは量的な差異であって質的な差別ではない。だが、貨幣を使う経済は本質的に不安定で、安定性のために公共機関を絶対に必要とします。自由と安定性、個人と公共性のバランスを、どこに置くのか。個人が完全に匿名となる自由放任主義的な貨幣経済を演じようとしたビットコインの劇場は、そのような根源的な問題を、私たちに考えさせてくれているのかもしれません」

 (聞き手・吉川啓一郎)

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 いわいかつひと 1947年生まれ、専門は経済理論。国際基督教大学特別招聘(しょうへい)教授、東京大学名誉教授。「貨幣論」(93年)でサントリー学芸賞