「古賀茂明「森友文書“改ざん”で白旗 霞が関崩壊を止めるには安倍総理退陣しかない」」

 以下、AERA(2018.3.12 07:00)より。
 アエラ連載の古賀茂明氏の「政官財の罪と罰」」の本論考は必読である。

https://dot.asahi.com/dot/2018031100015.html?page=1

著者:古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。元報道ステーションコメンテーター。最新刊『日本中枢の狂謀』(講談社)、『国家の共謀』(角川新書)。「シナプス 古賀茂明サロン」主催

連載「政官財の罪と罰


 財務省はついに近畿財務局の森友学園問題の決裁文書“改ざん”を12日に認めるという。朝日新聞が書き換えた疑いがあるとスクープを報じたのは3月2日。それから1週間後の9日、近畿財務局の森友問題担当部局の職員が自殺したことが報じられた。亡くなったのは報道の2日前だったという。

 本件で、関係者が最も恐れていたことが現実のものとなった。

 同じ9日、佐川宣寿国税庁長官が辞任した。森友問題に関連した国会対応に丁寧さを欠き審議の混乱を招いたこと、行政文書の管理状況について様々な指摘を受けていること、今回取りざたされている文書の提出時の担当局長だったことの3つの責任を感じて辞職を申し出たという。

 辞職自体は遅すぎた感もあるが、佐川氏は前から辞職を申し出ていたという報道もある。おそらく、辞めたくても辞められなかったのだと思う。

 安倍総理も麻生財務相も口をそろえて、森友学園への土地売却には問題がないと強弁し続け、佐川氏の国税庁長官昇格人事を「適材適所」だと繰り返し答えている。最高権力者と自分の組織のトップが国会でそう言うのだから、佐川氏には辞める理由が見つからない。理由を職務以外で探せば、健康上の理由くらいだが、それでは、仕事ができないほど体が悪いということになり、しばらくは天下りができなくなる。

 それでも、当初は、そのうち世間も静かになるのではという微かな期待も持っていただろう。しかし、事態はどんどん悪化していく。これだけ長期にわたり世間の注目を浴び、「極悪人」であるかのような扱いを受ければ、家族に申し訳ないという気持ちにもなるだろう。さすがに「もういい加減、辞めさせてくれ」という気持ちになっていたのではないか。

 それに、これ以上居座ると心配なことが出てくる。過去の答弁が虚偽だったという動かぬ証拠が出てくれば、退職できても、退職金をもらえなかったり減額されたりするかもしれない(もちろん、退職後でもそういうリスクはあるが、その程度は事実上小さくなる)。
 もちろん、本人に聞かない限りわからないが、普通の人ならそういう心理状態になるだろうという推測である。

 そんな苦境の中で近畿財務局職員自殺の一報が入った。佐川氏もさすがに、心理的に相当なダメージを受けたことだろう。これ以上職にとどまるのは無理だ。そう思って自ら辞職を申し出たのか、あるいは、安倍総理と麻生財務相が、改ざん問題で追い詰められて、このままだと佐川長官を国会に出さない訳にはいかなくなると懸念して、このタイミングで辞職させたのか。おそらく、後者の要素が強いのではないだろうか。

 辞職すれば、その時から民間人だ。国会に参考人として呼ばれても、拒否することができる。忙しいとか体調が悪いと言えば、何の問題もない。証人喚問されれば拒否はできないが、民間人を呼ぶにはハードルが高い。

 佐川氏は、司法当局に居所を登録しておけば、どこかに雲隠れしても問題にはならない。安倍総理も、これで佐川氏への追及をかわすことができたと安どしているかもしれない。

■“自殺”を誘発する権力者

 実は、森友問題を追っているマスコミ関係者の間では、佐川氏、あるいは、改ざん問題や国有地値下げの核心を知る職員が“自殺“するのではないかという懸念の声があった。不謹慎なようだが、飲み会などでは、よくその話が出るのだ。現に、過去の疑獄事件でもそうしたことはよくあった。心配されるのは、重要な人物の証言が得られなくなって、事件の真相が闇に葬られることだ。最悪のケースでは、自殺の連鎖が起きることもある。

 “自殺”というのは、文字通り自ら死を選ぶという場合と自殺に見せかけた他殺の場合がある。自ら死を選ぶ場合でも、権力者によって、そうするしかない状態に追い込まれてそれを選ぶという場合も多いだろう。

 いずれも権力者の犯す罪である。

 政治権力を握る者は、その権力を守るためには異常なまでに残酷なことをすることがある。それは歴史が証明している。もちろん、誰もがそういうことをするわけではない。「権力」に固執し、その「権力」を行使することに無上の喜びを感じるタイプの政治家がそういう罪を犯すのだ。
 今回の佐川氏の辞任と近畿財務局職員の自殺は、官僚による、同じ森友学園問題への対応である。一人は生きながら逃げる道を選び、もう一人は死の世界に逃避する道を選んだ。対照的ではあるが、共通することがある。

 それは、時の権力者を守るための犠牲になったということだ。

 一昨年くらいから、官僚が安倍政権を守るために、あるいは安倍総理の意向を忖度して不正を行うケースが頻発するようになった。大きな事件だけでも、南スーダンの日報隠ぺい問題、森友学園に続き加計学園問題、ペジー社のスパコン詐欺事件、厚労省裁量労働データ捏造など、まるで官僚機構は悪の巣窟であるかのような印象さえ与える。この他にも表に出ない不適切な行政は数えきれないくらいあるのだろう。

 それくらい、今、日本の行政は腐敗しきっている。もはや「崩壊」という言葉を使いたいくらいだ。

 その原因は何か。

 安倍総理自身がどう考えているかにかかわらず、今、霞が関では、安倍首相に逆らうことは役人としての“死”を意味するかのように受け取られている。逆らえば、昇進がなくなり、左遷は当たり前、さらには、辞職してからも個人攻撃で社会的に葬られる恐れもある。逆に、安倍首相に気に入られれば、人事で破格の厚遇を受ける。

 霞が関の官僚のほとんどが違憲だと考えていた集団的自衛権を合憲だと考える官僚を法制局長官に置き換えた人事は、象徴的だった。あんな禁じ手を使われたら、官僚は、安倍首相に媚びようと必死になる。

 文科省で、退職後ではあるが、安倍政権の政策に異を唱えた前川喜平前文科次官の個人情報がリークされて御用新聞の読売がそれを記事にしたことも官僚たちを震え上がらせた。安倍首相が如何に容赦なく自分の敵を叩き潰すかを目の当たりにしたからだ。
 一方、安倍総理が関心のない事項については、官僚は何でも好き勝手にやりたい放題が許されている。だから、触らぬ神に祟りなしで、安倍政権の悪政には一切異を唱えず、安倍総理の関心事には、条件反射的に最大限忠誠を尽くす。そして、トラブルを起こさず何事もなければ、官僚利権の天下り拡大などにせっせと励んで、事務次官の覚えをめでたくしようと考える役人が非常に増えてしまった。

 かくして、霞が関は、「崩壊の危機」に瀕しているのだ。

■「忖度の連鎖」で改ざんする官僚の性弱説

 今回の文書改ざん疑惑が事実であったとしたら、それは、近畿財務局が、一連の忖度行為の一環として自発的に行った結果だと考えても不自然ではない。

 一方、これだけの重大な不正を働くのはリスクが大きすぎると考えて本省の指示を仰いだ可能性も十分あるし、その前に本省の方から指示がなされたことも考えられる。さらには、官邸からの指示だった可能性も否定はできない。

 今後は、文書改ざんについて、誰の責任かという点が大きな議論になるだろう。しかし、改ざんについて本省の指示ないし承認があったかどうかは問題の本質ではない。ましてや、本省の関与が証明されなければ、現場の不祥事で終わりという考え方は採ってはいけない。

 なぜなら、この問題は、森友側へ破格の安値で土地売却を行ったことから始まったからだ。その時点では、安倍昭恵総理夫人の力が働いたのは明白だ(財務省の官僚は他省庁の役人より格上。ノンキャリはキャリアよりもはるか下の存在。年次も1年違えば虫けら同然と言われるほどの序列社会。その中で、経産省ノンキャリの課長補佐クラスの当時の昭恵夫人秘書・谷査恵子氏からの問い合わせに、財務省のキャリアの管理職が丁寧に文書で回答するのは異例中の異例。昭恵夫人案件だったからそれが可能になったことは霞が関の官僚100人に聞けばほぼ全員がそうだというはずだ)。

 そして、その後は、「忖度の連鎖」で、最後はこの改ざんという不正に行きついた。そう考えれば、改ざん行為はそれだけを独立の不祥事として扱うのではなく、森友疑惑の一環として位置付けるべきである。
 いずれにしても、ここまで書いたことでおわかりいただけると思うが、官僚は、自分たちの立場が危なくなると、意外と愚かな行動をとってしまうということだ。
 これは当たり前のことかもしれないが、官僚というのは、「聖人君子」でも「悪人」でもない。「普通の人」である。そして、「普通の人」について当てはまるのは、「性善説」でも「性悪説」でもなく、「性弱説」だと私は考えている。

 つまり、官僚も弱い人間だ。自分の地位や所属する組織の存立を脅かすような事件を前にすると、普段はまともな思考をする人でも、尋常ではない不正をする誘惑に勝てなくなる。その時は、良心も、賢明な判断力も、正義を貫く勇気も全て消え失せてしまうのだ。

 したがって、官僚の「弱さ」を利用すれば、権力者が、霞が関全体を「不正遂行マシン」として使うことも可能になる。逆に言えば、最高権力者は、そうしたことを生じさせないように自らを律し、逆に官僚の良いところを際立たせるような指揮をとらなければならない。

 そうしたことを念頭に置いたうえで、仮に、今回の事件がこのままうやむやにされて、安倍政権が続くとどうなるか考えていただきたい。

 官僚たちは、安倍政権の強大さをあらためて思い知るだろう。その結果、安倍総理の歓心を買うためにその意向を忖度して不正まで行う。さらに不正を正そうとすることは身を滅ぼすことになると考えて、見て見ぬふりをする。そして、総理が関心をもたない大部分の行政分野で、せっせと自分たちの利権拡大に励む。

 この国の行政は停滞ではなく後退し、腐敗はその極に達するであろう。

 それを避けるためにはどうすればよいのか。もはや、微修正で済む段階ではない。

 安倍総理が退陣して、正義と公正を実現する気概を持った新たなリーダーを選び直すこと。日本の行政機構を救うには、それしか選択肢がないのではないだろうか。