「今回はLGBT、次の排除の対象は 荻上チキ氏の危機感」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年8月1日17時37分)から。

 LGBTのカップルを「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」などとした杉田水脈(みお)・自民党衆院議員の月刊誌への寄稿に反発や抗議が広がっている。何が問題なのか、こうした主張を生む社会的背景は何なのか。評論家の荻上チキ氏に聞いた。

 杉田氏の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」では、子どもを産まず「『生産性』がない」LGBTのカップルのために税金を使っていいのか、と問うています。

 ですが、そもそも「支援の度が過ぎている」とは思えません。例えば同性愛者が求めるものに、「異性カップルと同じように結婚を認めて欲しい」「パートナーとして認めて欲しい」という声があります。異性愛者だけの特権を、すべての人の普遍的な権利にして欲しいと求めているだけなのです。お金もそうかからないでしょう。差別されている人たちの生きづらさを取り除くための支援は、国や自治体が実施すべきことです。

 自殺や自傷行為のデータを見れば、性的少数者はその他の人より発生率が高い。人権問題である差別をなくすよう啓発するのは政治の役割のはずです。政治家が杉田議員のように「自分は差別しないから、みんなもしないはずだ」としてしまえば、多くの差別を政治的課題から退けることになります。

 憲法が保障する権利は、誰にも平等に与えられています。「生産性があるかないか」といった条件はありません。政治の場や学校などでは「権利と義務」をセットで扱いがちですが、両者は片方が犠牲になる「トレードオフ」の関係ではない。「勤労の義務を果たさない者は、生存権がないから死刑にしてもいい」なんてことはありませんよね。結局、権利を求める人に「黙れ」と言いたいだけです。

 (後略)

聞き手・田中聡子