「研究力の回復「かぎは人への投資」 専門家に聞く」

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以下、朝日新聞デジタル版(2019年4月25日19時25分)から。

【科学力】
 日本の「研究力」が低下していると言われる。学術論文数は先進国で日本だけが減少。シェアは中国とドイツに抜かれて4位に転落し、国の科学技術白書は昨年、危機感を正面に打ち出した。低下の原因は何か。国立大学協会の要職などを務め、OECD経済協力開発機構)を始めとする国際的なデータを分析してきた鈴鹿医療科学大学長の豊田長康さんに聞いた。

 ――日本の大学の研究力を調査した著書「科学立国の危機 失速する日本の研究力」(東洋経済新報社)が2月に刊行されました。そもそも「研究力」とは何を意味するのでしょうか。

ログイン前の続き 研究活動を通じて何を目指すかによって違いますが、日本の将来を考えたとき、人口減少が続く中で世界と戦うには、研究成果をイノベーション(技術革新)につなげ、さらにGDPの向上につなげることが大切だと私は思っています。その点で、国が目指すイノベーション政策と、ゴールは同じです。各国のデータを調査した結果、GDPの変化とよく相関しているのが学術論文数の推移です。日本の研究力を示す指標はいろいろありえますが、端的に言えば学術論文数がその典型です。論文数は基礎研究の実力を表します。

 ――本の中で、日本の研究力を左右する要因として「研究従事者数(FTE)に帰着する」と主張しています。聞き慣れませんが、FTEとはどのような概念なのでしょうか。

 研究者数というとき、単純に研究者の頭数をカウントする方法があります。しかし、個々の研究者の勤務実態をみると、必ずしも研究だけをしているわけではありません。たとえば日本の大学の研究者は、勤務時間の半分を学生の講義や準備に使う「教員」でもあり、研究者の数という観点では「半人」なのです。FTEではこれを0・5とカウントします。研究に正味あてている時間の割合を考慮した研究者数がFTEです。「フルタイム・イクイバレント」(常勤相当)の略です。

 日本では、各研究者にアンケートして研究時間の割合を答えてもらう方法で調べています。日本の研究者の多くは教育のほかにも、本来は研究者以外の人がするべき事務作業などの雑務にも時間を取られています。ですから、FTEはその国の研究環境の指標ともいえます。日本では頭数とFTEには相当の隔たりがあり、研究力を測るときにFTEで考えないと実態を見誤ることになるのです。

 ――FTEでみると日本の研究力は海外と比べてどのような状況ですか。

 OECD諸国のデータでは、国の論文数はFTEとよく相関します。研究力の向上のためにはFTEを上げなければなりません。頭数を増やすか研究時間を増やす。つまり人への投資です。「人」こそが研究力の本質です。

 ――研究費の多寡とは関係ないのでしょうか。

 研究費とは主に、研究者の給与である「人件費」、研究活動に必要な、我々がイメージするいわゆる研究費に相当する「研究活動費」、研究施設を建てたり大型の設備を購入したりする「設備費」に分けられますが、OECDの統計では、論文数と最もよく相関するのは人件費、次が研究活動費です。一方、設備費は逆に、論文の生産性を減らす方向に働きます。高価すぎる実験施設は、論文を生み出すコストパフォーマンスが悪いのです。加速器天文台など、国として必要な施設はありえますが、お金に比例して論文を生むことはありません。

 ――まずは人件費を増やすべきだと。

 人件費を増やせばFTEも増えます。ポストが増え、研究者の頭数が増えるからです。適性ある研究者をそろえ、十分な研究時間を与えることが大切です。人件費は論文の「質」も高めます。多く引用される注目度の高い論文を生み出す研究機関は、FTEが多いのです。

 大学は研究のほかに教育や社会貢献活動もやり、雑用も多く、FTEは少なくなりがちですが、質の高い論文を出している大学は、研究に専念できる研究者もたくさんいます。海外はそのような研究環境が整った大学の層が分厚いのですが、日本は、地方大学の先生方は大変忙しく、質の高い論文を出すのは難しい。東大や京大など研究環境の恵まれた一部の大学だけで世界と戦っている状況です。

 ――その一部の大学に金も人も集中させる「選択と集中」の政策を政府が進めています。その方が効率がいいという説明です。

 論文を生み出す力は地方の大学も旧帝大も差はありません。それどころか、研究費あたりで計算すると地方の中小の大学の方がはるかに生産性が高いというデータもあります。旧帝大には付置研究所があり、講義をせず研究に専念できる先生がたくさんいますが、地方大学は研究者が減り、学生の数が相対的に多く、教育の負担が大きく研究時間が少ない。地方大学のFTEを上げるために国の資金をしっかり入れないと、海外の先進諸国とは戦えないのです。

 政府は国立大学改革を進め、研究で世界と戦う東大や京大などの先端大学と、教育重視で地域に貢献する大学に分ける考え方を示し、先端の大学に多くの研究費をつぎ込んでいます。しかし、日本はもともと先進諸国に比べてかなりの大学間格差があった上、「選択と集中」によってそれに拍車がかかれば、さらに大学の層が薄くなって世界とはますます戦えなくなる。すべきことは「選択と集中」とはまったく逆です。

 ――海外では以前からFTEの調査が行われていたのですか。日本で進まなかったのはなぜでしょう。

 OECD諸国は以前からFTEを採用しています。日本も2002年から調査を始めましたが、5~6年ごとなのでまだ3回分しかデータがありません。OECDと比較できるデータが日本には少ない状況です。日本で調査が遅れたのは、FTEの重要性に気づいていなかったこともあると思いますが、研究と教育は区別できないという根強い考えがあったからだと思います。確かに、研究室で学生に実験や論文を指導するのが研究か教育かはあいまいです。それに、調査はアンケート方式なので誤差がつきものです。会計上、1円まできちんとお金を勘定するという財務省的な考え方に立つとFTEは採用できないのでしょう。

 しかし、誤差はあってもそれを上回る多くの利点があり、OECD諸国は実際にそのデータに基づいて学術論文数との相関を導き出し、対策に役立ててきているわけです。日本でもしっかり調査をする必要があります。

 ――FTEを増やす人件費の原資は、国立大学の場合、国から配分される運営費交付金です。国は財源難のため、その総額を増やすことには難色を示しています。

 財政が苦しいのはわかりますが増やさないと世界と戦えません。もう一つの懸念は、18歳人口が減少し、国立大学を縮小すべきだという意見が強まることです。そうなると日本のFTEが減り、公的部門の研究力はますます低下します。ここは教育と研究を切り分けて考えるべきです。人口減少に応じて教育は縮小せざるを得なくても、世界と戦えるだけの研究機能は維持すべきです。

 ――国は国立大学に対し、「国に頼らず自分たちで稼げ」と言い、産学連携などを推奨しています。

 日本の国立大学は頑張っています。産学連携の指標である大学と企業の共著論文の比率を分野別でみると、日本の理工系分野は世界有数の水準です。また、産学連携が盛んなのはFTEが多い大学です。旧帝大などは企業の希望に応じた研究ができるので、共同研究費がたくさん大学に入り、それがさらに大学のFTEを押し上げる好循環が生まれます。

 しかし、日本が重点的に進めるべきなのは中小企業と大学の連携であり、その舞台は主に地方です。日本の企業の研究費を国民1人当たりでみると、大企業は世界有数ですが中小企業は先進国中で最低です。ここを底上げし、ベンチャーも含めてイノベーティブな中小企業をつくり、地域の活性化と地域のGDP向上をめざすべきです。中小企業は資金力が弱いですが、国が公的資金を入れて地方大学のFTEを上げ、産学連携でイノベーションを起こせば、好循環が生まれます。しかし、国はそれをせずに「産学連携をやれ」とむち打つわけです。地方大学は限界だと思います。

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 次回は5月9日に公開します。論文誌が海外の大手商業出版社による寡占状態にあり、購読料が高騰している問題について、大手出版社「エルゼビア」幹部、出版社との契約を打ち切ったドイツ大学長会議の交渉責任者、ノーベル賞学者の野依良治さんの3人に聞きます。

 豊田長康(とよだ・ながやす)鈴鹿医療科学大学長。専門は産婦人科学。大阪大医学部卒、三重大医学部教授、同大学長、独立行政法人国立大学財務・経営センター理事長として大学病院の経営再建に取り組む。13年より現職。著書に「科学立国の危機 失速する日本の研究力」(東洋経済新報社、19年)など。(聞き手・嘉幡久敬)