以下、朝日新聞デジタル版(2020年3月28日 7時30分)から。
新型コロナウイルスの感染が世界規模で広がるいま、ミュージシャンの坂本龍一さんは、2009年に亡くなった忌野清志郎さんの言葉を思い出している。自らが監督する公演も中止となったが、この非常事態を見透かしていたかのような盟友の言葉には教えられることが多いという。公演の自粛を要請した政府や、苦境にあえぐ音楽業界をどう見ているのかも聞いた。
昨日と同じことをしていたら…
――坂本さんが代表・監督を務める「東北ユースオーケストラ」が今月予定していた公演も中止になりました
「コロナウイルスが終息するまでは、たくさんの人間が集まらない方がいい。お客さんが何千人と来るし、オーケストラが100人超、合唱が120人ぐらい日本全国から交通機関を使って来ることになっていました。いくつもリスク要因があったので、中止にせざるをえなかった。1年間、子どもたちが練習して努力してきて、晴れの舞台を迎えるはずだったので残念ですが、健康を守る、感染を拡大させないということが何倍も大事だということはわかっています。人間は自然の一部だし、仕方がないですね」
――公演中止が相次ぎ、音楽や舞台の存続の危機を訴える声もあります。表現の場が縮小していく状況をどう見ていますか
「人間は、歴史の中で何度も何度もこういうことを経験して、ヨーロッパの人口の3分の1が亡くなるとか、大きなパンデミックも経験してきている。それでもなお、音楽はなくならないまま、ずっと人類の歴史の中に存在してきたんですよね」
「こうした状況では、昨日と同じことをしていたら倒れてしまいます。ビジネスのやり方も活動の仕方も、急速にこの状況に適応する新たな方法を探していかないと、もう生き残れない。いままでも生き延びてきたわけだから、何とか方法を見つけるしかないと思います」
――とはいえ、政府が要請しているのはイベントの「自粛」なので、損失は運営側やアーティスト側がかぶっているのが現状です
「K―1がそうでしたが、開催する自由はあるのに、行政に批判されてしまう。やるんなら『要請』じゃなくて、諸外国のように外出禁止する代わりに、ちゃんと経済的な支援をすればいい。そうしていないのは卑怯(ひきょう)に感じます。ただ、僕自身は大規模なイベントはやるべきではないと思いますけどね」
――CDが売れない時代なので、ライブ活動が生命線となっているミュージシャンも多いです
「生活していくのが困難な人が増えるでしょう。ドイツでは、文化大臣がアーティストたちに無制限での支援を表明したというニュースが出ていましたよね。やはり日本とヨーロッパでは音楽の在り方も、常日頃からかけている予算も桁が違う。文化というものの重要度が全然違うんだろうなと思います」
――なぜでしょうか
「元々、日本は西洋の文化の借り物が多い。明治維新以来、輸入されて150年ぐらいしか経っていないから、芸術をサポートしようという意識や体制が、人々や行政にしっかり根付いていない。今回、見捨てるのかちゃんと国として支援するのか、っていうのは国のありようというか、文化の大切さをどう思っているかが問われると思います」
いまは歴史の分岐点
――新型コロナウイルス対策で、緊急事態宣言によって私権が制限されうる状況はどう見ていますか
「自民党は、以前から憲法を改正して緊急事態条項を入れたがっていた。個人の権利を制限する法律で思い起こされるのは、1930年代にナチスが使った緊急事態条項ですよね。今回の法律も非常に危険だと思う。野党(の一部)も賛成して成立してしまったというのは、未来から見たら、全体主義的な方向にまた一歩近づいた出来事として記憶されるんじゃないかと思います」
「危機は権力に利用されやすい。最近、亡くなった(忌野)清志郎が言ってた言葉をよく思い出すんですよ。『地震の後には戦争が来る』って。『気をつけろ』と彼は警告を発してた。すごいなと」
――実際にいま、世界中で「戦時体制」という言葉が出てきています
「ウイルスを封じ込める政策については仕方がないと思うけど、それを利用する人が出てくるかもしれないから、気をつけないといけない。例えば、全員のスマホの位置情報を全て追跡して、誰と誰が会ったとか、そういうこともやろうと思えばできるわけですよね。これは一度始めれば今回のウイルスの騒ぎが終息しても、それはそのまま続いてしまう可能性が高い。政権側は一度使ってしまったら手放したくないので。人権を守りたいという側も、『今はしょうがないけれども、終息したらやめてくれ』って言って引き戻していくことは、現実的にはものすごく困難だと思いますね」
「世界全体で、テクノロジーを駆使した全体主義的な傾向が強まってしまうのか。それとも、ウイルスや疫病とも共存しながらも民主的な世界を作っていけるのか。大きな歴史の分岐点になる時期だと思う。誰もが試されていると感じます」
――坂本さんは以前、「音楽の力」という言葉が嫌いだとおっしゃっていた。いま再び「音楽の力で一つになろう」というような雰囲気も出てきています
「僕にはよくわからないんですよね。そういうことをやろうって言う人たちの気持ちが。僕も今回、武漢とか中国の人たちに向けてライブ配信を二つほどやって、反響が多くて、ありがたいと思った。たしかに、先が見えない状況で、ときに音楽やアートは、少し気持ちを休めさせるというか、砂漠の中の一滴になるかもしれない。でも僕は『みんなで頑張ろう』みたいなのが生理的に嫌いなんで。もうそれは生まれながらのものなんで。まあ、やりたい人はやって下さいと」
「時間」を疑う音楽
――今、坂本さんが次に作りたい作品は?
「いま僕が作ろうとしてるものは非常に抽象的で、『時間というものは存在しない』っていうことに基づいた音楽。僕らが常識で思っている『時間』というのは実際にはなくて、都市や楽器のように人間が勝手に作り上げたものじゃないかという疑問がとても強まってきた。そういうものは時間以外にも多いけど、人間はあまり気がついていない」
「人間って、自分が勝手に作ったものが現実だと信じ込んで、それによって束縛されるというようなことが、ままあるんですね。時間もそうだし、お金や法律も。国だって、空から見ると国境なんてないのに、少しでも超えたら殺すみたいなことやってるわけでしょ。だから本当に変わった動物だと思いますね。不思議な動物。周りの動物たちはみんな『不思議な奴らだなぁ』と思って見てるに決まってるんですよ。たぶん『早く消えてなくなれ』って思ってるとも思うけど。勝手な理屈で自分たちの自然を壊してるわけだから」
「ただ、大きな津波があったり、ウイルスが来たりすると、非日常的な世界になって、昨日までと同じように思考はできないし行動もできない、という時にふと我に返って、自分たちも自然の一部なんだと気づくのだと思います」
――坂本さんは近年、氷河の音や雑踏など、自然の音を取り入れることが増えていますが、なぜですか
「人間の作った音も自然の一部で、楽器の音というのは、現実の音とあまり区別することに意味がないと思うようになった。ノイズとサウンドの二項対立で考えるのはおかしいと思うようになりました」
「東日本大震災が大きなきっかけですね。地震や津波というのは言ってみればノイズですよね。元々自然の素材から人間が作った建物が、がれきになって自然に近い状態に戻される。自然のほうが人間の親分で、人間は自然の一部。そう考えると、人が作った楽器の音にこだわる必要がないんじゃないかと思うようになったんです」
――自然の音と、人工の楽器の音の垣根がなくなってきたと
「垣根もなくなっているんですけれども、むしろ私という人間が作った人工の音を邪魔したいんじゃないですかね。邪魔して、壊してやりたいという気持ちさえ出てきているのかもしれません」(聞き手・定塚遼)