「コロナ禍で迎えた沖縄・慰霊の日 追悼式は規模を縮小」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2020年6月23日 21時46分)から。

 日米合わせて約20万人が亡くなった太平洋戦争末期の沖縄戦から75年。沖縄は23日、犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。節目の年は新型コロナウイルスの影響で、県内各地の追悼行事は相次いで中止や縮小を余儀なくされた。そうした中、玉城デニー知事は追悼式での平和宣言で、戦争の記憶を風化させない取り組みを誓った。
コロナ禍でも訪れる沖縄・平和の礎 次世代に伝えるため
 1945年3月末、米軍の慶良間諸島上陸で始まった地上戦は、6月23日に日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる。ただ、その後も局地的な戦闘は続き、多くの住民が命を落とした。生活の場が戦場となり、防衛隊や学徒隊など現地召集の軍人・軍属を含めた沖縄県出身の犠牲者は12万人以上に及んだ。
 軍民が入り乱れて追い詰められた最後の激戦地、糸満市摩文仁(まぶに)の県平和祈念公園では、県主催の沖縄全戦没者追悼式が開かれたが、新型コロナウイルスの感染拡大で、昨年5100人だった参列者は県内関係者のみ約160人。座席は2メートル間隔に置かれた。
 正午に合わせて1分間の黙禱(もくとう)の後、玉城知事は平和宣言で、「戦争を風化させないための道のりを真摯(しんし)に探(さぐ)り、この島が平和交流の拠点となるべく国際平和の実現に貢献する役割を果たしていく」と決意を表した。

 

 (後略)

 (藤原慎一