「学術会議は特権なのか 広田照幸さん「批判という使命」」

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以下、朝日新聞デジタル版(2020/11/5 16:00)から。

 菅義偉首相が日本学術会議の新会員6人を任命しなかった問題は、学者らに広がる批判のうねりと、冷めた世論との落差が目につく。学術会議連携会員で日本教育学会長を務める広田照幸日本大学教授は、この問題で人文・社会科学のおよそ100学会のとりまとめ役を担う。「学者たちの既得権益」などと論点をずらす政府に対して、社会全体の自由にかかわる問題だと訴える。

ひろた・てるゆき 1959年生まれ。専門は教育社会学。著書に『陸軍将校の教育社会史』『教育は何をなすべきか』『大学論を組み替える』など。

 ――10月半ばの朝日新聞世論調査では菅政権に任命拒否の理由を説明するよう求める声が大きい一方で、任命拒否は「妥当ではない」36%、「妥当だ」31%と伯仲していました。

 任命拒否の理由を説明せずに学術会議の組織改革の必要性などに言及する政府の対応は、まるで「居直り強盗」。論点をずらし、問題の本質が見えにくくなっています。「誰が、なぜ、どういう過程で6人を外したのか」という経緯がいまだに明らかにされず、誰もが納得できる説明が難しいような理由だったことを図らずも露呈しているように見えます。

 ――「学問の自由」は国民全員に不可欠の権利ではなく、一部の人の「特権」と受け止める人もいます。

 これは学者の特権の問題ではなく、社会全体の自由に関わる問題なのです。社会を構成する一人ひとりの自由のためにこそ「学問の自由」を実現する必要があり、そのために大学の自治や学者が自ら運営する学術会議のようなアカデミーが必要です。

 ときの政治に都合のいい説を唱える学者ばかりになってしまった社会では、流れる情報が政府に都合のいいものばかりになり、「言論・報道の自由」が空洞化します。「言論・報道の自由」の空洞化は、国民一人ひとりの「思想・信条の自由」を脅かします。

 戦前の日本や今の香港のように、学問や言論の自由はもろくて簡単に失われかねないものです。現在のものの見方だけが必ずしも正しいわけではないのに、次の時代の正しさを生み出す「知の源泉」となる多様なものの見方ができなくなる。学問を含む社会全体が気がつくと、大きな曲がり角を曲がってしまったとなる前に、学者が国民みんなに支えてもらわないといけない状況です。

 ――学術会議がどうなろうと「学問の自由」は守れるという声もあります。

 今回の政府の「解釈」は、あらゆる「任命」の話に拡大してしまいかねない。アカデミズムの世界で言えば、国立大学の学長や大学共同利用機関の機構長の人事などです。日本学術会議法が学術会議の推薦に基づいて首相が会員を任命すると定めているのと同じように、国立大学法人法国立大学法人の申し出に基づいて文部科学大臣が学長を任命すると定めています。ことは学問の世界にとどまりません。例えば最高裁長官は内閣の指名に基づく天皇の任命ですし、最高裁判事は内閣の任命です。高裁長官や判事などは最高裁が提出する名簿により内閣が任命しています。今回の事件は、そうした諸制度を脅かすことになります。

 既に問題は飛び火しており、萩生田光一文部科学相は10月13日の閣議後会見で、国立大学学長の任命について「基本的には(大学側の)申し出を尊重したい」とし、文科相の判断で任命しないこともありうるとの認識を示しています。元の解釈に戻さないと、国立大学などの人事に対して政府が恣意(しい)的な任命ができることになり、学者や大学関係者の間に忖度(そんたく)が蔓延(まんえん)するでしょう。学術会議だけでなく、約87万人の研究者が日々取り組む学術研究の独立性が崩壊し、ときの政権の意向に左右されるようになってしまいます。

 ――人文・社会科学は国や社会の役に立つのかという意見もあります。

 学問の国や社会に対する役立ち方は、政治や行政とは違います。

 ときの政治は、比較的短い時間軸の射程で政策を考えて採用しますが、学問の世界の時間軸は短いものから長いものまで様々です。研究成果が社会に影響を与える時間軸も、政治や行政とは異なります。役に立たないように見える基礎研究が実践的・実用的な分野の基盤になり、行政や産業の役に立っています。人文・社会科学が考えた理論や概念も、いつの間にか国民の日常的な思考の材料になっています。

 例えば、教育学でいうと「発達」や「アイデンティティー」「学習者の権利」。他の分野でも「民主主義」や「市場の競争力」などたくさんあります。学者が目の前の現実や理想に意味と理論づけを与えたものが一般に普及し、社会の仕組みや人間の生き方を説明する日常用語になっていく。いわば学問が国民みんなのものになっていく過程があります。

 ――改めて、学術会議の役割とは何でしょうか。

 政治や行政への貢献は、学問が果たすべき役割のごく一部に過ぎません。日本学術会議法前文には「わが国の平和的復興、人類社会の福祉」や「世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」という使命が記されています。

 放っておくと狭い専門に閉じこもりがちな研究者のコミュニティーにとって、学術会議は大きな役割を果たしています。分野を超えて様々な問題を議論する唯一無二の場といっても過言ではない。各分野を牽引(けんいん)する学者が集まり、分野を超えた多角的な視点で学問上の問題や社会課題を話し合うことは、各分野の研究のあり方にも大きな影響を与えています。遺伝子工学人工知能(AI)などの科学技術と社会の関係など、学術会議の貢献を必要とする課題も増えています。

 首相のブレーンを務める特定の学者や、個別の政策のためにつくられる内閣や各省庁の審議会や有識者会議と、様々な学問領域をほぼ網羅している日本学術会議とでは、目的や使命が違い、位置づけもまったく違います。学術会議は、政権に批判的な人を含めて議論をすることができるからこそ意味があるのです。

(後略)

 (聞き手・大内悟史)